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午前6時に昨日と同じところから逆方向(玉置山方面)への奥駈道に入って行きます。
このあたりの奥駈道は車道と頻繁に出会うので、
随所で車道から直接取り付くことが出来ると言うことでは都合がよい。
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道は車道と並行して続いています。
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朝日が差す早朝の清々しい奥駈道。
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展望台の近くで車道に出ます。
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展望台が見えます。
ついでなので寄っていきます。3日連続です。
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一昨日から今日まで3回とも無人でした。
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だいぶ見慣れましたがついつい写真を撮ってしまいます。
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こちらは西の奥高野の方です。
護摩壇山や伯母子岳が見えています。
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展望台から少しのところに世界遺産の記念碑があります。
写真を撮っていると後から二人の外国人がやってきました。おそらく奥駈けをされているのだと思います。
”お早うございます”と挨拶されましたので、私も日本語で返しました。
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展望台からは笠捨山、蛇崩山、西峯などが見えました。
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記念碑の先から奥駈道に入って行きます。
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飢え坂というところです。
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なかなか綺麗な樹林の中を緩く登って行きます。
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途中で眺めが開けるところがありました。
八人山とその後ろに釈迦ヶ岳と孔雀岳が見えています。
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こちらは護摩壇山や伯母子岳方面。
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歩きやすい道です。
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見上げれば新緑が綺麗です。
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アンテナ塔の建つ無線中継所を過ぎると沢山の石楠花が咲いていました。
山頂へはこの石楠花の森を抜けて行きます。
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盛りは過ぎているようだが、まだ蕾もあります。
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綺麗です。
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石楠花の森を抜けて午前6時55分に玉置山に着きました。
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一等三角点があります。
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玉置山は第10靡です。
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宝冠ノ森へと続く山の向こうに熊野灘が見ているような気もするが、
確認できず。
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背後には沖見地蔵尊。
玉置山は沖見嶽とも言われるようなので条件が良ければ熊野灘は見えるのだろう。
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それでは玉置神社に向かいます。
急な道を下って行くと・・・。
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5分ほどで三石社。
”霊石三ッ石神祠”が祀られている。
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その下に玉石社。玉置神社の基となったところと伝えられている。
また大峯修験道では、本殿に先んじてここで礼拝するのが習わしとなっているようです。
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玉石社には玉石が敷き詰められている。
御神体の石はよく分からなかった。
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玉石社から下ってくると出雲大社玉置教会がある。
明治維新の際、十津川郷中は全て廃寺となり、全村民が大社教に属したことから、
その総元締めとして設立されたとのこと。
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その先には三柱神社。別名は稲荷社。
祭神の中の倉稲魂神(うがのみたまのかみ)は伏見稲荷大社の神様として知られている。
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最後に本社。
第十代崇神天皇の時代(紀元前一世紀ごろ)に、王城火防と悪神退散のために創建されたと伝えられている。
安全祈願をしてから大森山に向かいます。
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その前に杉の巨樹群を見て行きます。
まずは夫婦杉。基部で二又に分岐している。
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その奥に神代杉。
樹齢3000年と言われる。
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最後に大杉。
境内で最も大きな杉。周囲11m、高さ50mあるそうです。
(以上は玉置神社HPによりました)
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玉置神社境内を足早に見て回ってから大森山に向かいます。
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杉木立の中の奥駈道を緩く下って行きます。
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途中にある犬吠檜。
昔々熊野灘に発生した大津波から十津川を救ったという白い犬の伝説に因む社。
南海トラフ地震を連想する話しです。
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歩きやすい道をドンドン下って行きます。
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午前8時5分に玉置辻まで下って来ました。
舗装された道があり車でも来ることが出来るようです。
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振り返ると玉置山が高く大きく見えました。
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その右には宝冠ノ森(右端)へと続く山並み。
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車道に沿って少し行き奥駈道に取り付く。
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林道に沿ってこのような道がしばらく続きます。
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途中で林道に出たりして20分ほど進んで行くと、
林道終点の広い平坦地があった。
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そこからは、これから登る尾根と稜線が見えました。
手前の自然林の尾根からその先の植林の中を登って行くようです。
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左に見える平らな頂きは大平多山だろうか。
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奥駈道に戻って少し行くと古の道しるべがありました。
ここで少し休みます。
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道しるべには、たまき山より右は・・・、左は・・・と刻まれているが判読不可でした。
寛延四年と刻まれているので1751年に造られたようです。
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さらに15分ほど行くと道が分岐していました。
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左大森・・・、右水呑金剛と読めます。
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水呑宿は第9靡のようなので、
どれくらい時間がかかるか分からないが行ってみることにしました。
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はっきりとした巻き道を辿りながら進んで行きます。
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10分ほど行くと道標がありました。
ここで左に折れて行きます。
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さらに進んで行くと大きな岩に沿って踏み跡が続いています。
踏み跡が不明瞭になってきましたので赤いテープを見失わないように進んで行きます。
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まだか、まだかと思いながら大きな谷の崩れやすい左斜面を行くと道標がありました。
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道標に導かれて少し下るとようやく水呑宿に着きました。
分岐からここまで約15分で、80mほど下ってきました。
地図を見ると、背後の急斜面の100mほど上にP809があるようです。
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第9靡の行所です。
ちなみに、両側には2つの石碑があり、向かって左は善女龍王、右は金剛慈悲童士
と刻まれていました。
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振り返るとあたりは起伏の少ない緩やかな斜面でした。
かつては建物などがあったのかもしれません。
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帰りは2度ほど道を間違えて少し時間がかかり、
分岐に戻ったのは午前9時35分で、往復40分でした。
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分岐に戻って呼吸を整えてから先に進みます。
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緩く登ってP809を越えたあたりです。
この右の斜面を下ったところに水呑宿があるということになります。
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やがて道は標高差200m弱の急登となります。
焦らずにゆっくりとつづら折りに登って行きます。
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左手が明るいのは、先ほど林道の終点から見上げたとおり、
そこに幼木地帯があるからでしょう。
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標高も900mを越えて少し先が見えてきました。
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左手の幼木地帯がよく分かります。稜線も近くなりました。
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先ほどと同じ道しるべが立っていました。
文字はやはり読めませんでした。分かる人には分かるのかな。
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午前10時20分に大平多山分岐に到着。
大平多山方面には立入禁止のようなロープが張ってありました。
ここは右に折れて行きます。
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P1008を巻いたあとは80mほどの登りです。
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緩く登って行きます。
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突然、左側の視界が開けました。足もとを見ると山抜けのようです。
谷間に見える集落は篠尾(ささび)でしょう。
遠くの中央右寄りに大雲取山が見えています。第2靡の那智山はあの山の彼方です。遠い、遠い。
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大森山までの最後の登りはそこそこの急登でした。
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午前10時50分に大森山に到着。
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靡ではありませんが碑伝が沢山置かれています。
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休む間もなく最終目的地の三角点に向かいます。
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10分ほどで午前11時に着きました。
ここは、国土地理院地図では大森山とされているが、山名板では大水ノ森となっている。
どうやら三等三角点の点名が大水ノ森のようです。
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大森山に戻ってきました。
まわりの展望が全くないのが残念だが、致し方ないので
少し休んでから午前11時20分に戻ることにしました。
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途中で山抜けしたところで景色を見ながらお弁当を戴き、
午前12時5分に大平多山分岐に戻ってきました。
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分岐から下って行く途中で幼木帯の傍まで行き玉置山から宝冠ノ森まで続く山並みを眺めました。
今回は数が少ない山岳展望写真の貴重な1枚です。
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玉置山を拡大。
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ドンドン下って午前12時35分に水呑宿分岐を通過。
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林道終点から歩いてきた稜線を振り返る。
今にして思えば、あの幼木帯上の稜線から遠くを眺めることが出来たのではないかと少々悔やんでいます。
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少し荒れた林道を戻って行きます。
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午後1時5分に玉置辻。
登る時は気がつかなかったが古い石仏がありました。
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玉置辻からの玉置山。
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宝冠ノ森へと続く稜線。
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少し休んでから玉置神社に戻ります。
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約200mを35分かけて登ってきました。
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無事戻って来ることが出来たことにお礼をしておきました。
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三柱神社を通り抜けて行きます。
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玉置山と宝冠ノ森の分岐点。
今回は水呑宿に寄ったため宝冠ノ森はまたの機会とすることに・・・。
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玉石社にもお礼をしておきます。
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午後2時15分に玉置山に戻る。
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遠くは午前よりも霞んでいたため熊野灘は確認できませんでした。
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石楠花の森を抜けて行きます。
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駐車場への道との分岐点。右に行きます。
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飢え坂を下って記念碑に到着。
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展望台は割愛して奥駈道を戻って行きます。
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2日間の長かった奥駈道ともお別れの時が近づきました。
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午後3時ちょうどに出発点に戻りました。
2日間ともほぼ計画通りに歩き通すことが出来て感謝の気持ちで一杯です。
着替えを済ませて午後3時半ごろに出発。
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帰りの途中、車道から眺めた地蔵岳や笠捨山。
帰りは国道425号経由で国道168号に出てから往路を戻りました。
大きな渋滞はなく帰宅は午後7時でした。
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