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午前5時過ぎの五番関トンネル。
前回の奥駈道歩きの時に駐車した奥千本駐車場からここまで繋がっている道だが、
今は道路事情により通行止めとなっています。
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すっかり明るくなった午前5時半に出発します。
公園の奥が登山口です。標高は1085mほど。
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朽ちた小さな橋を飛び越えて登山道に入って行きます。
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湿度が高くあまり爽やかな感じはしない朝で、すぐに汗だくになります。
五番関までの道の中ほどに大きな岩がありました。
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きつい直登の道からつづら折りの道に変わると五番関は近い。
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ちょうど20分で五番関に到着。標高は1210mほどのところです。
右に行くと山上ヶ岳方面ですが、まずは左の大天井ヶ岳に向かいます。
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大天井ヶ岳へと続く道。
右には直接二蔵宿(百丁茶屋跡)へと続く巻道があります。
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20分ほど緩く登って行くと大きな岩がありました。
どうやら碁盤石らしいですが、帰りにゆっくり見ることにして先に進みます。
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碁盤石から先は少し急登になりますが、
全体的には緩やかな登りが続きます。
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午前6時40分ごろ。標高が1400mを超えたあたりです。
霧が立ち込めています。
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2週間ほど前にやってきた分岐につきました。
右に行くと吉野方面。大天井ヶ岳山頂は直進です。
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午前6時50分に大天井ヶ岳に到着。
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前回とは別の山名表示板を撮影(他に撮るものがないので・・・)。
山頂で佇んでいると、前回と同じくコバエが沢山寄ってきましたので即刻退散しました。
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緩やかな下り道を戻って行きます。
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少し日が差してきたようです。
このまま晴れてくれればいいが・・・。
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碁盤石のところまで下ってきました。
五番関の名はこの碁盤石が由来との説もあります。
(マウスポインターを画像に重ねると少し拡大)
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碁盤石の基部にある何かの石碑の残跡。
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登りの時は霧で真っ白だったが、
今は天気が回復して遠くの山が見えている。このまま晴れてくれるとよいが・・・。
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午前7時40分に五番関に戻る。ここで小休止。
山上ヶ岳の女人結界門は全てで4箇所あるが、ここは初めてのところです。
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かつてはここに五番関茶屋というのがあったらしい。
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門の傍に役行者を祀った祠がある。
前鬼・後鬼も祀っているのかは未確認です。
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10分ほど休んでから山上ヶ岳に向かいます。
始めしばらくは巻き道が続く。所々に、足掛かりの少ない岩場や崩壊した跡などがあり要注意です。
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30分ほどで巻き道は終り広い主稜に乗るが、
道は抉れた溝状の地形の中に続く。
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やがて小さな祠がある開けた平坦地に着く。傍らには百五十五丁石があります。
祠には鍋冠行者が祀られている。鍋冠行者とは外でもない役行者のこと。
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役行者が修行中にここで大蛇に襲われたが、大蛇が噴く火を鍋で防いで呪術で退治したらしい。
その大蛇の腹部がここに横たわっていたのでこの付近を蛇腹と呼ぶようです。
それでは大蛇の頭と尾はどうなったのでしょうか。
(マウスポインターを画像に重ねると説明板)
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祠から先に続く溝状の坂道は蛇腹坂と呼ぶようです。
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蛇腹坂を登り切ったあとはしばらく平坦な道となる。
標高も1400mを越えて奥駈道らしくなってきました。
日も差して明るいです。
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ここは百六十丁です。
このような丁石は節目ごとにありますが、中には倒れたり、埋もれてしまっているものもありました。
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P1448の手前。
大峰奥駈道らしい雰囲気が漂うところです。
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午前9時に今宿跡。地図ではP1448のところです。
(マウスポインターを画像に重ねると拡大されます)
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P1448から少し下った鞍部付近。
やはり日が差すと景色が生き生きしてきます。
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遠くに見えるのは山上ヶ岳から続く稜線だろうか。
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百六十五丁です。
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南側に、多分、山上ヶ岳。
あとから思えば、この時間帯が一番天気が良かったようです。
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北側に先ほど登った大天井ヶ岳。
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大天井ヶ岳の右後方に2週間前に登った四寸岩山。
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眺めに気を良くして歩いていると前方に岩壁が立ちはだかる。蛇腹といわれるところです。
鍋冠行者堂から少し離れているが、このあたりまで蛇の腹部が飛んできたのだろうか。
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結構な登りです。足場を確認しながら慎重に。
下りの方が厳しいかも。
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思いもしなかった激登に疲れて稲村ヶ岳の見えるところで岩に腰かけてしばし休憩。
ついでに腹ごしらえもしておきます。
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P1479を越えてから一旦下り、鞍部から登り返して行きます。
洞辻茶屋への最後の登り。
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登り終えて開けた平坦地を進んで行くと前方に洞辻茶屋が見えてきました。
茶屋の前には円満不動明王像が立っています。
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午前10時5分、洞辻茶屋に到着。洞川からの道と合流します。
17年前に稲村ヶ岳を経て山上ヶ岳に登った時は洞川へ下っていますので、
ここで奥駈道が繋がったことになります。
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なにはともあれ中に入って休憩です。
広い茶屋内には誰もいません。平日はこんなもんでしょうか。
吹き抜ける冷たい風が心地よく、生き返った気持ちです。
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中ほどに祠がありました。多分・・・ですね。
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扉が閉まっていて拝謁出来なかったのが残念でした。
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出口には出迎不動尊像が立っています。
この洞辻茶屋付近にはかつて浄心門があったとのことで、第68靡とされています。
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洞辻茶屋をあとにして先に進みます。
ここは”じゅるみ”と書かれていますが、じゅるみとは何でしょうか。?です。
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陀羅尼助茶屋の前には多くの供養塔が並んでいる。
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午前10時25分に陀羅尼助茶屋。
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中は先ほどの洞辻茶屋と雰囲気が違い、商店街みたいです。
休憩には洞辻茶屋の方が適しているようです。
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陀羅尼助茶屋を出て少し行くと今日一の難所、鐘掛岩です。
登りは左の道を行きます。
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このあたりにも供養塔が立ち並んでいる。
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いよいよ階段の登りが始まります。
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長い階段の登りが終わるとつぎは”油こぼし”です。
鎖を使ってよじ登って行く。
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鐘掛岩の下部に出ました。
ここは登ることができないので右に迂回して行きます。
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振り返れば理源大師が登る人を見守っています。
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迂回して鐘掛岩の直下に来ました。
展望がよさそうなところですが視界はゼロ。
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振り仰げば鐘掛岩です。見たところ鎖も何もありません。
君子危うきに近寄らずで、ここも迂回して行きます。
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登り切ったところは鐘掛岩の天端部への入口です。
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Uターンして桟橋を渡って行きます。
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鐘掛岩の上から展望台や理源大師像を見下ろす。
霧が立ち込めていて遠くの視界はなし。残念でした。
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振り向くと役行者像。
どこを見つめているのかな。
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鐘掛岩から少し行くと”お亀石”。
踏むな、叩くな、杖突くな・・・です。
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役行者が悟りを開いたところだそうです。
役行者の母が亀になって会いに来たところとも言われています。
柵の中の石は亀の頭で尾は熊野本宮の方に続いているらしい。
(マウスポインターを画像に重ねると柵の内部)
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ほどなく等覚門に着きました。
吉野の発心門から修行の道に入り、金峯神社の修行門からこの等覚門までの長い道中で修行を重ねて
仏に近い悟りを得ることになるのです。
もちろん私のような一介の登山者ではなく、それなりの覚悟を持った修験者のことです。
しかし、間をあけた三日間の繋ぎ繋ぎではあったが、暑い夏の最中で
”柳の渡し”からここまで歩き通したことは大変感慨深いものでした。
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等覚門から先は供養塔の立ち並ぶ道を歩いて行きます。
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岩が露出して滑りやすい道を下る時、霧の中に宿坊が見えました。
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宿坊に向かって歩いていると右に特徴のある岩壁が見えた。
”鷹ノ巣岩”で昔は行場だったようです。
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”西の覗”ですが空模様が良くないので帰りに寄ることにします。
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宿坊に近づくと案内板がありました。
左に行くと吉野に寺院のあるの4つの宿坊があります。
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右に行くと洞川にある護寺院の龍泉寺の宿坊です。
登りはこちらの方から行くことにします。
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吉野の護寺院の宿坊群からの道と合流すると妙覚門に着きます。
発心門、修行門、等覚門に続く最後の門です。
妙覚とは真の悟りの境地とのことのようです。
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大峯山寺。これで3回目になります。
本尊は金峯山寺と同じく蔵王権現とのこと。現在の本堂は約330年ほど前のものだそうです。
このような奥深い山の上によくも建てたものだなと思います。
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本堂横の不動明王像。
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午前11時45分に山上ヶ岳に着く。
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山頂の湧出岩。
役行者が蔵王権現を感得されたところ。
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一等三角点。
この後、お花畑に戻ってエネルギーの補給を兼ねて休憩し、午前12時20分に下山を開始。
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帰りは吉野の護寺院の宿坊の中を下って行きます。
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結局天候は回復しなかったが、折角なので西の覗に寄ります。
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霧に包まれて眺めはないが、これはこれで結構不気味でした。
天気の良い日に再訪することにして下山を続けます。
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鐘掛岩の手前から左の下山道を行きます。
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階段が続く道です。
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陀羅尼助茶屋に着きました。
やはり下りは楽です。
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洞辻茶屋に戻ってきました。
ここでも休憩します。
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洞辻茶屋を出たあとはひたすら下り続けます。
蛇腹坂を下って行きます。
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五番関には午後3時に戻る。
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五番関トンネルには午後3時15分着でした。
これで大峯奥駈道を柳の渡しから地蔵岳まで繋ぐことが出来ました。
あと南部をどのように繋いで行くか。まだまだ先は長い。
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