交野山 2016年(平成28年)1月22日 |
交野市神宮寺の住宅の一角から石仏の道が始まる。午後1時55分に山歩きを開始。3ヶ月ぶりで少し不安。 |
歩くこと5分ほどで道の右手に早速石碑が現れた。 |
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”此附近天平時代開元寺跡”と刻まれている。天平時代とは即ち奈良時代のことで、今から1200年以上も前のはるかな昔のことです。 |
みかん畑を見ながら舗装された道を緩く登って行きます。このあたりには”神宮寺遺跡”と呼ばれる先縄文時代の遺跡があるそうです。昔から果実などが採れる温暖なところだったのかも知れない。 |
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振り返ると第二京阪道路の向こうに北摂の山並みが”青い山脈”となって連なっている。 午前中は天気が良かったが、寒気のせいか午後からは雲が多くなってきた。 |
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登山口から10分ほどで最初の石仏”弥勒仏座像”があった。鎌倉時代のものだそうです。 案内板の後ろには”神宮寺先縄文時代遺跡”と刻まれた石碑が建っている。 |
さらに5分ほどで”二尊立像”。二尊とは比丘形と阿弥陀らしいです。 |
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さらに5分ほどで”阿弥陀如来立像”(左)と”阿弥陀三尊磨崖石仏”(右)。 |
”阿弥陀三尊磨崖石仏”。右手の谷に向かって彫られているので道路からは見えない。室町時代の応仁の乱ごろのものらしいです。 |
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”阿弥陀如来立像”。室町時代のものだそうだ。 これもそうだが、石仏はどれも素朴な親しみやすい感じがする。 |
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最後は”磨崖阿弥陀三尊像”。やはり室町時代のもの。道路の脇に何気なく転がっているようです。 |
最後の石仏から少し行くと道路の終点となる。その先は何かの工事の最中だった。 |
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工事用道路の脇の階段を上り詰め、工事現場をあとにしてようやく静かな山の中に入って行く。 |
一登りして小広い平坦なところに出た。ここから先は道は二つに分かれているようだった。石仏の道はこのまま真っ直ぐ階段を登っていけばよかったのだが・・・。 |
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なぜか左手の谷間の方へ向かってしまった。地図の見誤りだった。 |
その道は交野山の斜面を巻いて続いていた。途中からは六甲山方面が眺められた。 |
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石仏の道よりも遠回りして巻き道を終え、山頂に向かって登って行く途中で観音岩が見えた。。 |
山頂直下の道を登って行く。 |
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山頂直下の岩に刻まれた梵字。 |
登山口からちょうど1時間で山頂に到着。まあまあのペースだったかな? |
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休む間もなく久しぶりの山頂からの展望を楽しむ。写真は北の方向の眺め。 左の山並みの右端が天王山。その向こうは愛宕山。いづれも明智光秀に関連があります。 右遠くには比叡山と比良山方面(今日は見えていない)。 |
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愛宕山方面を拡大。 愛宕山の手前に天王山。その麓が山崎。天王山の右手の丘には石清水八幡宮が鎮座する。 |
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比叡山方面。比良山は雲の中です。 比叡山の手前の丘の上には伏見城が小さく見えます。 |
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山頂から西の北摂方面。 右端の愛宕山や天王山から北摂の山々を経て六甲山までが見える。 北摂の山並みは歌謡曲”青い山脈”のメロディーの源ということを聞いたことがあります。 |
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南の六甲山から大阪市街方面。 手前には第二京阪道路。 |
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大阪市街をアップ。 左にアベノハルカス。その後ろには大阪湾が光っている。 |
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東の奈良方面。 曇り空でよく分からない。どんな山が見えるか晴れた日に確認することにしよう。 (後日天気の良い日に確認した結果のページはここをクリック) |
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眼下には第二京阪と神宮寺の集落。登山口も見えます |
山頂で15分ほど過ごしてから下山にかかる。また来ます。 |
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下山は山頂から三宝荒神社を経て行く。6、7分下ったところの東屋がある広場は岩倉開元寺があったところらしい。同じ開元寺でも麓の天平開元寺とは別のお寺のようです。 |
岩倉開元寺跡から下って行くと多宝塔の跡に出た。このあと急な階段を下って登ってきた道と合流し登山口まで戻った。 以上、歴史と展望の山歩きは、何とか無事終えることが出来ました。 |
コースタイム |
登山口(13:55)−交野山山頂(14:55−15:10)−登山口(15:50) |