11月4日 |
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平湯のアカンダナ駐車場。ご覧のようにがら空きの状態だった。
天気は良さそうで日差しはあるものの雲が多く少し寒い。
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大正池で半数以上の人を降ろしてバスが上高地に着いたのは10時25分。
梓川の畔に出てみると真っ白になった穂高が眩く輝いていた。。
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河童橋あたりはまだ賑やかさを保っている。
この付近でおきまりの写真を撮ってから明神に向かう。
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河童橋からの焼岳。
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穂高や焼岳は皆から注目されているが、上高地に最も近い六百山の険しい山容は人目につきにくい。
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閑散とした小梨平のキャンプ場を足早に通り過ぎる。
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静けさに包まれた明神への道。
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たまに散策する人とすれ違う。
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河童橋から35分ほどで11時25分に明神に到着。明神岳を仰ぎ見る。
明神館もすでに店じまいしている。
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明神から5分ほどで徳本峠への分岐に着く。
徳本峠には昭和47年の5月に登っている。燕岳から常念、蝶を経て上高地まで来る予定が見事敗退し、
中房温泉へ下山後上高地まで来て往復した。今は記憶も朧気な42年も前のことだった。
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徳本峠の小屋も営業を終了している。
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峠への道に入り、益々人の気配がしなくなった道を進んで行く。
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分岐から20分ほど行くと車道は終わって登山道になる。その途中で下山してくる小屋の方達と出会い営業が終了したことを聞いた。
そのあとしばら歩いて12時15分頃、沢を渡る橋の手前でこれからの登りに備えて小休止した。
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沢を渡るといよいよ本格的な登りが始まる。すでに葉を落とした木々の中の小さなつづら折りの道をゆっくりと登って行く。
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日影のところでは昨日降った雪がまだ溶けずに残っている。
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しかし日当たりの良いところでは雪は見られず、寒さも感じない。
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12時50分頃、振り返ると鋸の歯のような西穂高の稜線が眺められた。
左端の方に昨年登り損ねた独標もよく見える。
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最初の水場を過ぎてほどなくして振り返ると、
ジャンダルムや奥穂、前穂、明神岳がちっぽけな人間を威圧するかのように聳えていた。
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この登山道で唯一の梯子。日陰に入ると少し寒い。
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梯子から10分ほどで午後1時15分に最後の水場に到着。日影でうっすらと雪が残っていた。ここで2.5リットルの水を汲んで行く。
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最後の水場からは雪のつづら折りの道。振り返れば幾重にも重なって見える。
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つづら折りの道はなおも続く。
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雪が付いた木道。滑らないように注意して。
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霞沢岳への分岐を過ぎて5分ほど行くとようやく峠が近づいてくる。
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最後の水場から30分かかって午後1時50分に徳本峠に着く。
峠に登る途中で出会ったのは、小屋の方達以外では外国人を含めて下山する方3人のみであり、
また予想どおり峠にはもう誰もいず、あたりは静寂そのものだった。
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営業を終了した小屋。一冬を越すために厳重な措置がとられており、名物の旧館の様子を伺う余地もなかった
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峠道を挟んだ小屋の向かいにテントを張る。13年前に大雪山を縦走して以来のテント泊で荷が重く、計画通りに行くか不安感はあったが、峠から比較的近いところに水場があることで大いに助かった。
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テントを設営してから穂高を眺めに展望台へ行く。
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展望台へは45秒と書かれているとおり峠からすぐのところだった。登ってきて振り返ると・・・。
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目の前に新雪の穂高連峰。
(画像をクリックすると拡大されます)
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穂高連峰核心部。3千メートルの岩稜。
(画像をクリックすると拡大されます)
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穂高は日没前にもう一度見ることにしてテントに戻る。
穂高と反対側の松本側には八ヶ岳が見えた。
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小屋の裏に回ると明日登るジャンクションピーク(JP)が雪を纏っていた。どれ位の雪の量なのだろう。大丈夫かなあ。
JPへの道は峠の手前から分岐していたが、先ほどの展望台からJPの方向に踏み跡があったのでもしかしてと思って調べてみることにした。
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展望台を通り過ぎて進んで行くと・・・・。
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予想どおり前方にJPが見えてきた。また右から道が合流している。
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合流点の傍らに道標代わりの木片があり、霞沢岳の文字が見えたのでこの道で間違いないことが分かり納得。峠の手前からの道は巻き道だった。
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午後4時を過ぎたので暗くなる前に食事の支度を始めたが、
ちょうど日没前の時刻と重なって写真撮影のタイミングを見るためテント場と展望台を行ったり来たり。
夕食を済ませて後片付けをし、明日の霞沢岳登山の準備をしたあとはすることもない。
まだ6時前だが、すでに辺りは暗いし寒いので寝ることにしました。明日は4時起床の予定。
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11月5日 |
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11月の高山はさすがに冷えてよく寝られないまま朝を迎えた。
予定どおり4時過ぎに起きて朝食の支度をしながら星空の撮影をしてみた(午前4時34分)。
北のキリン座方面と思われますが星の同定は出来ませんでした。
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食べ終わってから必要な荷物のみをリュックに詰めて午前5時35分に峠を出発した。東の空はすでに明るくなってきている。明るい星が二つ見えるが、左がアークトゥルス、右が水星のようです。
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ヘッドランプをつけて昨日調べた展望台経由の道を行きJPへ登り始める。左手には木々の間から夜明け間近の晴れ渡った空が見えた。浅間山や美ヶ原、八ヶ岳のシュルエットも見える。
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6時近くになるとまわりはだいぶ明るくなってきたのでヘッドランプを消して登って行った。
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高度が上がるととも道に雪が現れてくる。凍り付くほどの寒さではないが、稜線付近ではどうなっているのだろうか。アイゼンを持ってきていないので少し不安。
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6時10分頃に穂高が見えるところを通過。
スタジオジャンクションというのはこのあたりのことだろうか。
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まだ日が差す前で眠っているような穂高連峰です。
積雪の薄いところは溶けてしまったようで昨日のように真っ白な山容ではない。
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規則的なつづら折りの道をゆっくり登って高度を上げて行くうちにようやく日の出を迎えた。時刻は6時25分。今日は地平線付近に雲があるため実際の日の出の時間よりも少し遅い。
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やがて登りも緩くなり、凍てついた道を進んで行く。JPはもうすぐ。
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徳本峠から1時間で標高2428mのJPに到着した。
標高2140mの峠との標高差は約300m。1時間はまあまあというペースか。
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山頂に着いた時はちょうど雲間から朝の光が差し始めるところだった。
地平線付近の雲のおかげでご来光のような雰囲気を味わえました。
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JPからは浅間山や美ヶ原、八ヶ岳などが望めたが、地平線付近の雲であまり良くは見えなかった。
しかし南アルプス方面は比較的視界が良く、甲斐駒から赤石岳方面へと続く山々が確認できた。
甲斐駒の左には富士山の左半分が辛うじて見えていた。
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JPで少し休憩してから先に進む。途中で樹林が途切れて乗鞍岳や御嶽山が望めた。
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雪を被った乗鞍岳。
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噴煙をあげる御嶽山に合掌。
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御嶽山の左手遠くには恵那山。
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JPからは凍てついた溝状の道に沿って緩やかに下って行く。30分近く下ったところに凍り付いた池があった。このあたりが鞍部付近の湿地帯だろうか。まわりは雪と氷に覆われているためよく分からない。この付近の標高は2260mほどで、ここから霞沢岳までの標高差は約400m。
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JPからの長い下りも終わって、この先は小さな起伏が続く樹林の中の稜線上の道となる。雪に覆われた道には昨日のものと思われる踏み跡があった。迷うような道ではないが少し安心します。
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JPとの鞍部から急登すると小さなピークに着いた。正面の木には赤くP2と書かれている。 時刻は7時25分で峠から約2時間。
P1は気がつかずにとおり過ぎてしまったことになるが一体どのあたりだったのだろう。
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P2と書かれた木。この先小ピークはP5まで続くが、このP2が最もピークらしいところだった。
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P2からは下りになる。
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P2からの下りの途中で遠くに中央アルプスを眺めることができた。
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7時35分にP3を通過。
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続いて7時40分にP4を通過。小刻みにピークが続く。
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P4からの下りの途中で中央アルプス方面を見る。
なかなか良い眺めです。
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P4から下った鞍部付近でようやく霞沢岳を見ることが出来た。手前のピークはP5と思われる。
突然、パラパラと石が落下する音が聞こえた。どうやら正面の大きく崩れた崖から聞こえてきたようだった。
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P5への登りは標高差150mほどで、これまでの小ピークの中で最も長くきつい。
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登り着いたP5。
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P5と書かれていなかったらピークとは気づかずに通り過ぎてしまいそうなところだった。
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P5から少し行くと正面にK1が高々と聳えていた。右手の斜面に道が見える。
P5との鞍部からは200m足らずの登り返しだが、このコース中最も苦しいところだった。
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右手にはしばらく見えなかった穂高が姿を現してきた。
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正面のK1へ登る途中でK2と霞沢岳を見る。
時刻は8時半ごろだが山頂まであとどれだけかかるのだろうか。遅くとも10時までには登りたいが・・・。
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K1に登る途中でJPを振り返る。
正面の平たい頂がJP。その左手遠くに浅間山や美ヶ原が見える。右手には八ヶ岳も。
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K1への登り。
とにかく傾斜がきつく真上に見えるピークがなかなか近づかない。
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日影でも雪は凍り付いておらずアイゼンも必要なかったのは幸いだった。しかしなかなかの急勾配でロープを掴みながら登って行く。
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P5から苦しい登りを続けること約1時間、9時10分にようやくK1のピークに立つことができた。
振り返ればJPから辿ってきた稜線が眼下に見え、
遠くには浅間山や美ヶ原、霧ヶ峰、八ヶ岳などの山々が薄い雲の上に浮かんでいた。
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その左には常念岳や蝶ヶ岳の山並み。
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そして新雪を戴いた穂高連峰の雄姿。
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さらに飛騨の名峰笠ヶ岳。
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焼岳の彼方に霊峰白山。
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目の前にはこれから向かうK2とその奥に霞沢岳。
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眼下には霞沢。遥か彼方に中央、南アルプスの山々。
快晴の空の下、まさに360度の遮るもののない眺めに我を忘れるのだった。
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K1からハイマツが繁る稜線を、岩を乗り越えたりしながら辿って行くこと15分余りでK2に到着。
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振り返れば右端のJPからP5まで遙々と辿ってきた稜線が認められた。
中央の見おろすようになったK1は鋭いピラミダルな山容をしている。
その背後には常念山脈が連なる。
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その左には前方に遮るものがなく穂高の全容が望めます。
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K2からの穂高連峰
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振り返れば遠くに加賀の白山。新雪を戴くと一段と神々しく見える。
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今日の最終目的地、霞沢岳も目前になった。
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K2から20分かかり、9時55分に標高2646mの霞沢岳山頂に到着。
好天気のおかげで計画を達成することが出来ました。まだ下りはあるけれど・・・。
山頂は10人ほどで一杯になりそうな狭い所だったが、今は私一人なのでほどよい広さに感じた。
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山頂からの眺めはこれまでのK1、K2からのものと大きくは違わなかった。
まず穂高の左に笠ヶ岳。写真の右奥には双六岳も見える。
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穂高の右には常念山脈。
手前に辿ってきた K2とK1が見える。
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眼下の焼岳は上堀沢などの土石流の傷跡が生々しい。
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乗鞍岳と御嶽。
雲に覆われてきて御嶽は山頂部が隠れてしまっている。
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穂高を振り返ると、こちらも笠雲のような雲が山頂部を覆ってきていた。
(画像をクリックすると拡大されます)
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まるで昔の十戒と言う映画で見た雲のようだった。
快晴の頂上へ着いてから僅か10数分の間での急変だった。台風20号の影響かも知れない。
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常念山脈の方はまだ青空が広がっており、急に天気が崩れることはないと思ったが、
時刻も10時15分を回ったので上高地からの最終バスのことを考えて山頂を辞すことにした。
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K2まで戻る間にも低い雲はドンドン広がって行く。こんな天気の急変は初めてだった。
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霞沢岳を振り返る。
ほんの1時間ほど前に見た景色と随分違うなあ。これはこれで迫力はあるけれど。
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K1からの穂高連峰。何だか絵に描いたようです。
(画像をクリックすると拡大されます)
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10時50分にK1を辞し、雪の道を下り続けてP5の樹林帯に入る頃には霰のような雪が降り出したが大したことはなかった。P5からドンドン下り、P4やP3にも気がつかずに歩き続けてP2に着いたのはちょうど12時。ここで小休止する。
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P2から急降下し、鞍部付近の池を過ぎるとJPへの緩い登りが始まる。
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JPへの登りは写真のような氷結した溝状の道を辿って行く。
バリバリと氷を割りながら登って行くが、緩い登りなので200mほどの標高差も大して苦にならず、
午後1時ちょうどにJPに戻ることが出来た。
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JPからの眺め。
右に浅間山。左は四阿山方面と思われます。
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蓼科山から八ヶ岳にかけての山並み。蓼科山の手前には霧ヶ峰。
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JPでこの山行最後の展望を得てから峠に向かって下って行く。
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下りは雪がクッションとなり思いの外歩きやすかった。ただし滑らないように気をつける必要はあります。
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峠の展望台からの穂高連峰。
空はすっかり雲に覆われてしまっていた。
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峠に戻ったのは午後1時40分。予定していた時間より少し早く着いたが、このあとテントを撤収し、荷物を詰め込むのに時間を要して、結局峠を出発したのは2時半だった。最終バスに間に合うか気にしながら一夜を過ごした峠に別れを惜しんで上高地を目指した。
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梓川沿いの道に合流したのは午後3時40分。明神で少し休憩する。ここで今日始めて人と出会った。山行中誰にも会わなかったのは3年前の毛勝山以来だった。
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夕闇が迫った河童橋に着いたのは午後4時35分。
何とか最終バスに間に合ってホッとする。
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河童橋から河畔の道をバスターミナルまで歩く。
来年も是非この時期に上高地に来ようと穂高を仰ぎながら思うのだった。
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最終バスは午後5時に上高地を発車。
10人ほどの乗客を乗せてすっかり暗くなった道を平湯に向かった。
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