果無山脈 冷水山・公門崩ノ頭 2024年(令和6年)10月2日 |
大峰大黒天神岳へ登る途中から眺めた果無山脈(2023年10月3日) 中央の黒い台形の山は果無山脈上のブナの平(写真の右の山)から派生する尾根上の百前森山。 百前森山の左後方にカヤノダン、さらにその左後方に冷水山。 百前森山の右後方に公門崩ノ頭、その右にP1158、さらに右にブナの平。 |
||||||||
石地力山から見た果無山脈中央部(2024年5月10日) 中央に冷水山。その左手前にカヤノダン、右手前に丸い頂きの公門崩ノ頭。写真左にP1158。 今日は冷水山からP1158の手前のミョウガタワまで歩きます。 (これらの山名同定は独断したものですので誤りがあるかもしれません) |
||||||||
午前6時35分に冷水山登山口に到着。 平日なので、この時点では車は私の1台だけでした。支度をして7時すぎに出発。 |
||||||||
登山口の道標。年季が入っています。 |
||||||||
5分ほど登って行くと巻き上げ機の残骸がありました。 |
||||||||
道は概ね緩やかな登りで歩きやすいが、 終盤では勾配がややきつくなりロープも張られていました。 |
||||||||
30分ほどで主稜線に乗りました。 |
||||||||
右に行くとすぐ山頂です。10ヶ月ぶり。 |
||||||||
今日は天気は良いが、遠くは少し霞んでいます。 南には大塔山や法師山、半作嶺などが見えます。太平洋は無理なようです。 |
||||||||
北には奥高野方面。伯母子岳や鉾尖岳、護摩壇山など。 手前には牛廻山。 |
||||||||
北東の彼方には八経ヶ岳から釈迦ヶ岳にかけての大峰山脈がうっすらと。 |
||||||||
少し休んでから7時45分に縦走開始です。 |
||||||||
途中の大木。道中随所に大木がありました。 |
||||||||
緩く下ったあと緩く登ってP1234。特に何もなしです。 |
||||||||
P1234からきれいな森の中を緩く下って行きます。 |
||||||||
紅葉はもう少し先のようです。 このあと間違って林道方面への尾根を下って行き、途中で気づいて引き返す。10分弱ロス。 |
||||||||
カヤノダン手前の広い尾根。 |
||||||||
8時40分にカヤノダン。ピークは後方にあるようなので寄ってみます。 |
||||||||
P1178ですが、特に何もありません。 |
||||||||
次のピークP1132との鞍部付近まで下ってきました。 |
||||||||
登り返してP1132を越えてしばらく行くと幾つかの岩が露出した小ピークに着きました。 ピークの手前で右に道が分岐しています。多分、樫尾森山方面への道と思います。 |
||||||||
その少し先に崩壊地があり、東から南方面の視界が開けていました。ここが多分公門ノ崩。 東には遠くに丸い小さなP1117や少し尖がったP1158。その右に大きな丸いブナの平が見える。 目的のミョウガタワはP1117とP1158との鞍部なのでなかなか遠いです。 大峰南部の山も見えますが詳細は帰路で確認することにします。 |
||||||||
公門ノ崩からは植林と自然林との境を行きます。 |
||||||||
次のピークの公門崩ノ頭までは80mほどの登り。 |
||||||||
黙々と登ります。 |
||||||||
午前9時40分に公門崩ノ頭に到着。公門谷ノ頭とも書かれている。 まわりは樹林に囲まれて展望なしですので休まずに先に進みます。 |
||||||||
公門崩ノ頭から筑前タワへは140mほどの下りで、 今日歩く稜線上では最も標高差が大きい。帰りの登り返しがきつそう。 |
||||||||
踏み跡も明瞭ではないので赤いリボンやテープを確認しながら下って行く。 |
||||||||
15分ほど下って行くと前方が開けて明るくなってきました。 |
||||||||
崩壊地のようで北の眺めが広がります。 これは奥高野方面。 |
||||||||
その右に大峰山脈。冷水山からよりも広い範囲が見えます。 詳細確認は帰路ですることにして先に進みます。 |
||||||||
崩壊地からすぐ先が筑前タワでした。 |
||||||||
10時ちょうどに筑前タワに到着。 このあたりは標高千メートルを少し超えた位で、今日の出発点よりも低いところ。 また和田ノ森から果無峠までの稜線上でも最も低いところのようです。 |
||||||||
筑前タワから最終目的地のミョウガタワに向かいます。 途中の大木。植林もなくなり自然林の中を行きます。 |
||||||||
緩く100mほど登ってP1117を越えて行きます。 ここまでかなりの数の100m足らずの標高差のピークを越えてきたので、さすがに疲労感が出てきました。 |
||||||||
P1117から緩く下って行くとミョウガタワです。 |
||||||||
ミョウガタワに10時半に到着。約5ヶ月ぶりです。これで果無山脈を踏破出来ました。 ここまで、思った以上にアップダウンが多く結構足にきました。エネルギーの補給を兼ねて少し休憩します。 |
||||||||
10時45分にミョウガタワを出発して戻ります。 途中で僅かに紅葉した木がありました。 |
||||||||
筑前タワを通過します。 |
||||||||
崩壊地から公門崩ノ頭を眺める。 |
||||||||
ここで少し休んで大峰山脈を眺めます。 |
||||||||
これは八人山で、左端の地蔵岳(子守岳)と天狗山以外の大峰の山は 隠れていて見えていません。 |
||||||||
右端に地蔵岳(子守岳)と天狗山。 その左に大日岳の尖峰と孔雀岳、釈迦ヶ岳、仏生嶽、楊枝ノ森が続く。 |
||||||||
楊枝ノ森から五鈷峰を経て八経ヶ岳。 手前は行仙岳で果無集落からも見える山です。(大峰の行仙岳とは別の山) |
||||||||
大峰の眺めを見納めて公門崩ノ頭に登る。 稜線上では今日最大の標高差約140mの登りを終えて11時50分に山頂に到着。 疲れたが公門ノ崩まで頑張ります。 |
||||||||
植林と自然林の間を進んで行きます。 |
||||||||
公門ノ崩に登り返して行く。 |
||||||||
午前12時20分に公門ノ崩。展望を兼ねて休憩します。 左の公門崩ノ頭から東に続く果無山脈。 その後ろに大峯奥駈の山々が見えています。以下望遠で。 |
||||||||
左から転法輪岳と少し離れて行仙岳。右端に地蔵岳。 |
||||||||
地蔵岳と笠捨山 |
||||||||
中央左に大森山。 奥駈道上の山ではないが右に多平太山、甲森が続く。 |
||||||||
大森山から高度を落として左端に五大尊岳。 さらに高度を落として金剛多和がある鞍部、大黒天神岳、山在峠へ。 大黒天神岳の右手前(写真の中央手前)は果無山脈ブナの平から派生する尾根上の百前森山。 |
||||||||
左の山在峠から吹越山(中央上部に剝げた山肌が見えるあたり)、七越峰へ。 |
||||||||
大峯奥駈道南部の山々を見納めて冷水山に向かいます。 |
||||||||
P1234を越えて冷水山はもうすぐ。 |
||||||||
午後1時55分に冷水山に戻る。 予想外の数多い細かな登り下りには参りましたが、無事に何とか戻って来ることができて一安心です。 ここで最後の休憩をします。 |
||||||||
一読すると、何か胸にジーンと来ます。 昭和45年というと高度経済成長期で、都会への人口流出が地方の過疎化の原因となった時代です。 いいか悪いかは別にして抗うことのできない時の流れなのでしょう。 |
||||||||
午後2時15分に冷水山にお別れをします。 機会があれば紅葉の時期にでもまた来ます。 |
||||||||
登山口に戻ったのは午後2時35分でした。 予想どおり誰にも出会うことのなかった初秋の山歩きでした。 3時に出発し、途中で道を間違えたりして帰宅は7時過ぎでした。 |
||||||||
|