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交野山からの愛宕山。(2021年11月)
手前は天王山方面の山。どちらも明智光秀のことを連想するところです。
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清滝トンネル前で信号待ち。このトンネルはもともとは愛宕山鉄道の平坦線のトンネルでした。
約百年が経過した今も道路トンネルとして利用されています。
トンネルを抜けてすぐのところにあるバスの発着場は平坦線の終着駅の清滝駅があったところです。
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清滝トンネルを抜けてバスの発着場を左に見て進んで行き、
午前8時に登山口手前の駐車場に到着。
料金(正月だからなのか1200円で少し高い)を支払ってから入場。
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午前8時35分に駐車場を出発。
金鈴橋を渡ると道は左右に分岐します。左は表参道、右は月輪寺参道です。
登りは左の表参道からとしますが、その前に正面の石段を上って行きます。
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石段を上ると広場に出ました。ここが愛宕山ケーブルの清滝川駅跡です。
平屋建の立派な駅舎があったそうです。
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階段状になっている両側は乗降場かも知れません。
軌道はここから真っ直ぐ続いて行きます。
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上の写真から前方へ進んだところ。軌道跡に落ち葉や枯れ枝などが散乱しています。
左の石垣の上に表参道があります。
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ケーブルの始点を確認してから、表参道の入口である二ノ鳥居まで来ました。
ここから愛宕神社まで4.2kmだそうです。
標高差は約850mありますのでそこそこの登り勾配です。
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いきなりの急坂を登って行きます。
右下には先ほど見たケーブルの軌道跡が続いています。
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参道が大きく左に曲がって行くところで軌道跡に近づいたので降りてみました。
この辺りは少し整備されているような感じです。
遠くにトンネルらしきものが見えます。トンネルは6箇所あり、うち2箇所は内部で崩落しているようです。
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二ノ鳥居から10分ほど登って行くと開けた平坦地が何ヶ所かあり、参道の傍らに小さな祠がありました。
”嵯峨小学校清滝分教場跡”とのことです。
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さらに急坂を登って行くと右に”火燧権現跡”がありました。
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”火燧権現跡”から10分ほどで二十丁目(一ノ鳥居が起点)の”一文字屋跡”。
茶屋があったところだそうです。
さすがは歴史のある道です。登り始めて30分もたたないうちに色々な史跡が出てきます。
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標高300m付近。
ここにも石垣があるが、何か建物があったのかも。
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参道の丁石。
参道の傍らには石柱やお地蔵さんが一定の間隔で置かれているようですが、
どちらも丁石だそうです。
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午前9時30分に二十五丁目”なか屋跡”。
標高は約400m。近くに三合目の休憩所もあります。
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登りはまだまだ続きます。
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しかし今のところ天気は良いし気分もよい。
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午前9時50分に五合目(三十丁目)に到着。
ここで標高は約530m。ほぼ中間点です。
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五合目で暫し表参道と別れて大杉谷への道を少し行くと
左に小さな道が分岐しています。
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それを辿って行くとケーブル軌道跡の5号トンネルのところに来ました。
このトンネルは内部で崩壊しているようです。
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トンネルから先を見たもの。左側の軌道跡は土砂や落ち葉で埋もれています。
軌道跡を辿って愛宕駅跡まで行けるように見えますが、安全第一で表参道に戻ります。
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五合目まで戻って少し行くと開けたところに出ました。
大杉大神と呼ばれる大木が立っていたところらしいが、
2017年の台風21号で倒壊してしまったようです。合掌。
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このあたりは視界が開けています。
しかし目立った山がないので山岳同定は無理なようです。
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京都市街や手前の嵐山は何となく分かります。
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京都市街地を拡大。手前に渡月橋も見えます(写真では判別は無理かも)。
遠景は奈良方面と思われるが、天気がよければ大峰山などが見えるのだろうか。
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五合目からしばらくは平坦な巻道が続きます。
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愛宕駅跡近くのP745から派生する尾根を乗り越すところに”カワラケ投げ”場跡がありました。
昔はこの辺りも眺めがよかったのでしょうか。
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”カワラケ投げ”場跡から少しで”水尾わかれ”に着きました。標高は約700m。
時刻は10時35分。雲が多くなって少し寒くなってきました。
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”水尾わかれ”から少し行くとケーブル愛宕駅跡や愛宕ホテル跡方面への道がありました。
いよいよ史跡巡りの核心部です。
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当時、愛宕駅と表参道とを結ぶ道だったと思われるところを歩いて行きます。
途中に何かの構造物の基礎と思われる遺構もありました。
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5分ほどで愛宕駅跡が見えてきました。
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ケーブル愛宕駅跡です。
まだ当時の外形は保たれているようです。
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しかし近くに寄って見てみると相当な傷みようです。
百年近くも風雨に晒されているのだから仕方がないでしょう。
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1階の内部。
1階には待合所や改札口があったようです。
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少し怖かったが、静かーに階段を上って2階に来ましたた。
2階は食堂だったそうです。二十丁目にあった一文字屋でしょうか。
床が抜けないうちに1階に戻ります。
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ここは1階のケーブル発着場側です。
右に降りるとケーブル乗降場。
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地下は機械室のようです。
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モーターや滑車などがここで音を立てて作動していたのでしょう。
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機械室から下り方向を見たもの。
左右は乗降場のようです。
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下り方向。軌道跡は埋もれてしまって僅かに見える程度です。
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振り返って乗降場や駅舎を見た写真です。
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駅舎跡の次はホテル跡に向かいます。
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ホテル跡は駅舎の前の広場を挟んで向かいの林の中にあります。
木造平屋建の洋式ホテルだったそうです。
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エントランスの床のタイル。100年前のものです。
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内部の様子。
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外部の様子。
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ホテルの裏には遊園地跡がありました。
飛行塔もあったそうですが今は何も残っていません。
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これは何かよく分かりません。
テント村やアイススケート場などに関係したものだろうか。
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約40分ほど愛宕ケーブル関係の遺構を見てまわり、
将に諸行無常を目の当たりにしたような思いで表参道に戻ってきました。
少し行くとハナ売場がありました。もう営業はしていないのでしょうね。 (マウスポインターを画像に重ねると案内板が表示されます)
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ハナ売場から登って行くと昨年末に降った雪がまだ溶けずに残っていました。
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午前11時40分に黒門に着きました。標高は約850mです。
この辺りから踏み固められた雪で足元が不安定になってきました。
一応滑り止めは持ってきましたが、つけるのが面倒なのでこのまま行きます。
(マウスポインターを画像に重ねると案内板が表示されます)
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黒門から10分弱で境内に入りました。
愛宕神社は大宝年間に役行者が泰澄とともに神廟を造立したのが始まりとされている。
ここでも役行者が出てきました。
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境内の広い道を進んで来たあとは階段の登りが始まります。
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一登りすると鉄鳥居です。
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鉄鳥居の先は木製の神門です。
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神門を潜ってから左に折れて階段を上ると幣殿の前に出ました。
手水舎の横にリュックを置いて財布を持ち、マスクをして階段を上って行きます。
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一礼をして幣殿に入ると正面に本殿があります。
お賽銭を入れてから二礼二拍一礼をして初詣は無事終わりました。
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お詣りを済ませたあとは三角点に向かいました。
途中で分岐がありましたが、道標には三角点のことが書かれていないので取り敢えず右に行きました。
間違いに気づいて戻ってきましたが、天気も良くないし行く気も消え失せてここで引き返すことにしました。
やはり十分な下調べが必要です。
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月輪寺参道の分岐点まで戻ってきました。ここから下って行きます。
午前12時40分に出発です。
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少し下って行くと展望の開けたところがありました。
しかしあいにくの天気で今一つの眺めです。
中央左に嵐山が見えます。右遠くは生駒山方面かな。
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大杉谷への分岐点です。
この道は表参道と違って雪はほとんどありませんでした。
日当りが良いのだろうか。
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月輪寺には午後1時20分に到着。
月輪寺は愛宕神社と同時期に泰澄によって開基されたという、
空也、法然、親鸞などとゆかりのあるお寺だそうです。
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月輪寺から下る途中で霰のような雪が降り始めたが、
それが止むころ身助地蔵尊に着きました。
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月輪寺登り口には午後1時55分着。
ここから空也滝は近いがまたの機会に行くことにして清滝に向かいました。
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林道を歩いて行きます。
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清滝に近づいたころ、小さな沢を渡る時に右上にケーブルの橋桁が見えました。
よく百年も持ちこたえていると思います。
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午後2時25分に清滝の駐車場に戻ってきました。
かくしてケーブル遺構めぐりを兼ねた新春早々の愛宕山初詣は無事終了です。
帰りは嵐山付近で少し渋滞があったが大したことはなく午後4時頃に帰宅できました。
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