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名残ヶ原に立てられていた登山道案内図(図をクリックすると拡大されます)。
登りは昭和湖経由の須川コース、下りは産沼経由の自然観察路を歩く予定。
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6時50分に駐車場を出発。
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登山口は源泉の湯が流れる須川高原温泉の入り口の前。
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湯気を立てながら流れる源泉の川。
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北方の眺め。うっすらと焼石岳が見える。
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名残ヶ原とその向こうに雲に覆われた栗駒山。
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名残ヶ原を行く。前方に栗駒山。
花の時期には少し早いがイワカガミやタテヤマリンドウ、ワタスゲなど見られた。
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イワカガミ
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タテヤマリンドウ
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ワタスゲ咲く(?)名残ヶ原の彼方に焼石岳が浮かぶ。
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名残ヶ原から少し行くと残雪が現れた。ここは苔花平というところ。
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残雪を登り詰めたところから振り返る。
中央に名残ヶ原が見える。右に苔花平の小さな湿原も見える。
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有毒ガスが吹き出す地獄谷もこのあたりは雪の下。
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登山口から1時間弱で7時45分に雪を浮かべた昭和湖に着く。ここで小休止。
ここから上は雲に覆われており、まわりの眺めが得られるのもここまでのようです。
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昭和湖から登って行くとやがて残雪が現れるととtもに、あたりは霧に閉ざされてしまう。
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残雪の上を歩き、さらにミネザクラ咲く灌木帯を登って霧の中の天狗平に着く。
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天狗平からは左に折れて稜線に沿って山頂を目指す。登山道脇にはムラサキヤシオツツジやミネザクラが咲いていた。
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ムラサキヤシオツツジ
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ミネザクラ。
昨日の雨の神室山にも咲いていた。
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8時55分に栗駒山の山頂に着く。霧の中で何も見えず。
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山頂の祠に無事登頂のお礼をする。
このあと天候の様子を見たが特に変化はなかったので9時15分に山頂を辞した。
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帰途は自然観察路を下ったが、産沼あたりまでは特に目立ったものもない変化の少ない道だった。
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産沼はまだ雪の下。
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産沼からの下り道。
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三途の川を渡る。
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三途の川の付近は残雪もあり、道自体が湿地帯になっていた。その道のまわりにはサンカヨウやミズバショウが咲いており、自然観察路らしくなってくる。
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道端に咲くミズバショウ。
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下ってきた方向を振り返る。あのピークの左肩を越えてきたようです。
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樹林の道を下って行くと不意に小さな湿原に飛び出した。苔花平に戻ってきのだった。
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苔花平のゼッタ沢を渡ろうと思ったが、足がかりが見られなかったので安全のため左の残雪をキックステップで登った。
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苔花平の湿原を振り返る。
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名残ヶ原を戻る。もう少しすれば色とりどりの花々が咲き競うことだろう。
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11時15分に須川温泉に戻ってきました。
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11時45分に須川温泉を出発し国道342号を一ノ関に向かう。
途中で展望台のようなものがあったので寄ってみると、ようやく雲が晴れた栗駒山を望むことができた。
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しかしながら、この展望台は栗駒山の展望台ではなかった。
今から5年前の平成20年6月14日に発生した”岩手・宮城内陸地震”により崩落した”祭畤(まつるべ)大橋”の展望台だったのだ。
災害の記憶をとどめるために当時のままで保存されている。
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この地震の震源地はこの近くで、そのとき生じた地滑りにより落橋したものだった。仕事の関係上この災害のことはよく知っており写真も見たことがあるが、まさかここがその現場とは思いもしなかった。写真は記念のため橋の一部を切り取ったもの。
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被災の状態を説明した図(図をクリックすると拡大されます)。
思いがけないものを思いがけないところ(私の不勉強のせいですが)で見ることができ、今回の山旅の収穫の一つとなりました。
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仙台空港で車を返し、仙台での予定を終えて飛行機で関空に戻ったのは夜の10時過ぎだった。
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第二ターミナルの様子。
今回の山行は残念ながら天候に恵まれなかったが、それはそれで思い出になるものだった。機会があれば再挑戦することにしよう。
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