北穂高岳 (上高地から涸沢まで) 2006年(平成18年)10月20日〜21日 |
メ モ | 10月も下旬になり秋たけなわの季節となった。中旬から続いている好天気もあと数日は持ちそうなので、この週末の休日を利用して涸沢から北穂高に登る計画を立てた。穂高連峰には奥穂と前穂に登っているがそれも30数年前のことで、果たして北穂まで辿り着けるかどうか分からないが、とにかく行けるところまで行こうと思って10月19日の午後11時過ぎに家を出発した。 中津川で中央道と別れて中山道を薮原まで行く。薮原から県道に入り、野麦峠への道を左に分けて奈川渡ダム経由で沢渡に着いたのは20日の午前4時半頃。町営駐車場に車を留め、しばらく休憩して5時半発の一番バスに乗る。金曜日と云うこともあってか乗客は10数人でよく空いていた。新しい釜トンネルを抜け、すっかり小さくなった大正池を眺めながら上高地には6時前に着く。 既にまわりは明るくなっているが早朝だけにかなり冷える。BTでふるえながら簡単な朝食をとってから河童橋に向かう。平日の早朝の河童橋は人影が疎らだった。穂高の眺めを満喫してから6時20分に涸沢目指して出発する。 上高地から奥の梓川沿いの道を歩くのは実に32年振りのことだ。小梨平を通り、西穂高を振り返ったり明神岳を仰ぎ見たりしながら40分ほどで明神館に着く。梓川を渡り、明神池や嘉門次小屋に寄ってから再び明神館に戻って徳沢を目指す。ようやく朝日が差し始めてまわりの景色も明るさを増してくる。徳本峠への道を右に分け、清冽な梓川の流れや常念岳の姿を見ながら徳沢には8時前に着く。日が差してきたせいか色鮮やかになって来た紅葉や、前穂北尾根から屏風ノ頭に続く稜線を眺めながら黙々と歩き続けて8時50分に横尾に到着。ここで小休止する。 横尾で10分ほど休憩してから梓川にかかる吊橋を渡って横尾谷に入るとようやく道は登山道らしくなる。この谷を歩いたのは随分前のことだし、またその時期は5月か6月の残雪期だったのでまわりの様子は全く記憶にない。岩小屋を過ぎ、屏風ノ頭を巻いてその北側を行く頃からまわりの紅葉は一段と綺麗になってくる。行く手には目指す北穂高も見えてくる。本谷橋で少し休んでからいよいよ涸沢までの急登が始まる。 しかし急登と言っても始め少しつづら折れの登りがあるだけで、そのあとはやや傾斜を増した道が横尾谷に沿ってこれまでと同じように続く。やがて横尾本谷を右に分けて涸沢谷に入って行く。このころから空には雲が多くなってきた。遙かに前穂高や吊尾根と奥穂高が現れ始め、涸沢の小屋も見え出したが、それからあとの登りが結構長く小屋もなかなか近づかない。そのうち上空は完全に曇り空に変わってしまった。涸沢手前の登山道のまわりはナナカマドなどの紅葉が綺麗だったが、生憎の空模様で今一つ色が映えない。疲れが出始めた体に鞭打って石畳の道を登り涸沢には11時45分に辿り着いた。 (下の写真のうち本谷橋から涸沢までは21日の下山時に撮影した写真で編集しました) |
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行 程 上高地 ↓↑ 横尾 ↓↑ 涸沢 ↓↑ 北穂高岳 ↓↑ 北穂高小屋(20日泊)
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天 候
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(気象庁 : 過去の天気図) | ||
河童橋から穂高連峰を望む。まずは涸沢目指して出発 | 明神へ向かう途中から西穂高の稜線を振り返る | |
明神池近くの嘉門次小屋に立ち寄る。後方は明神岳 | 徳本峠への道との分岐点を通過 | |
梓川と常念山脈を見ながら行く | 朝の徳沢園 | |
朝の徳沢テントサイト。まだ人影は少ない | ||
横尾に到着。人も少なく静か。ここで小休止 | 吊橋を渡って横尾谷に向かう | |
吊橋から梓川と北尾根を望む | ||
横尾谷への道を行く | 屏風ノ頭と北穂高(右奥) | |
横尾谷の紅葉 | 屏風ノ頭と紅葉 | |
横尾谷の紅葉 | ||
本谷橋手前から紅葉の横尾谷と北穂高を見る | ||
北穂高岳を仰ぐ。今日中にあの頂上まで行けるのだろうか | ||
屏風ノ頭の麓の紅葉 | ||
本谷橋を渡る | 本谷橋からの蝶ヶ岳 | |
本谷橋を渡るとしばらくつづら折りの登りが続く | 高度を上げて涸沢谷に入ると前方に前穂高が見えてくる | |
紅葉した木々の彼方に吊尾根が見える | 涸沢谷と吊尾根 | |
ナナカマドなどの紅葉が綺麗な涸沢への道から見た奥穂高と涸沢岳 | ||
涸沢直下から奥穂高、涸沢岳、北穂高を望む(画像をクリックすると拡大されます) | ||
色鮮やかな紅葉に囲まれ、正面に奥穂高を見ながら登る | ||
涸沢直下から屏風ノ頭を振り返る | ||
涸沢からの奥穂高岳 | ||
涸沢岳と北穂高岳 | ||
“涸沢から北穂高岳まで”に続く |