大普賢岳・七曜岳
2005年(平成17年)6月5日

メ モ
山上ヶ岳の南にある大普賢岳は標高1780mを有する大峰北部の最高峰です。八経ヶ岳から北を望むと、弥山の右遠くに文殊岳(日本ヶ岳)、小普賢岳、そしてこの大普賢岳と徐々に高度を上げていく特徴ある峰の連なりが認められます。この山並み伯母峯峠を経て大台ヶ原まで繋がっており、地図には笙の窟尾根と記されています。
大峰奥駆道の北部中程にあるこの山に直接登ろうとすると必然的にこの笙の窟尾根を辿ることになるが、登山口の和佐又から山頂までの道は距離の割にはアップダウンが多いためかなりアルバイトを強いられそうな感じだった。しかし修行の山である大峰山に登るのにはうってつけの道だと考え、新緑と満開の石楠花を期待して天気の良さそうなこの週末に出掛けることとし、5日の午前1時に家を出発した。
国道168号から24号で橿原に行き、橿原からは国道169号を走る。長いトンネルを抜けて大台ヶ原への道を右に分け、新伯母峯トンネルを抜けると右手に和佐又ヒュッテへの車道がある。急なカーブを切り返しながら高度を上げて行き、3時15分にヒュッテに到着した。車が何台か留めてあるが泊まり客のものかも知れない。ヒュッテの食堂には明々と灯りがともっている。車のライトを消して外に出て空を見上げると綺麗な星空だった。安心して車の中に入り少し休む。寝袋に潜り込んで1時間ほど微睡んでから起きると漸く夜が明けようとして薄明るくなっていた。しかしまわりは白い霧に包まれている。おそらく朝霧でそのうち晴れて来るだろうと思って朝食を取り、支度をして5時に出発した。

行 程

和佐又

和佐又のコル

笙ノ窟

日本岳のコル

石ノ鼻

大普賢岳

七曜岳

無双洞

和佐又のコル

和佐又

距離     :  9.9km
最大標高差:  831m
累積標高  : 1,021m
 
天 候

晴れ
(気象庁 : 過去の天気図) 

山行記録

登山口は車道を少し先に行った左手にあった。霧に包まれた道を緩く登って行くと広いオートキャンプ場に出る。テントが何張りか張られて既に起きている人もいた。

キャンプ場を通り抜けて車道のような広い道を進んで行くと大台ヶ原への道との分岐点に出る。大普賢岳への道は前方の樹林の中へ入って行く。樹林の中を緩く登って暫く行くと和佐又のコルに着いた。

 
 ここは和佐又山や無双洞方面への分岐点となっている。

朝霧の中の和佐又のコル。大普賢岳目指して右の尾根道を行く。
左は無双洞への道で、帰りはここから戻ってくる予定。

コルを過ぎて広い尾根道を進んで行くと、立ちこめていた霧が晴れ始めて樹林の中に朝陽が差し込んできた。

そのうち行く手の樹々の間に岩峰が見え隠れし、やがて急登が始まる。しかしそれも暫くのうちで、道は尾根から外れて南側を巻いて行くようになる。ほどなく“指弾の窟”と書かれたところを通る。続いて現れたのは写真の“朝日窟”。

 
朝日窟から鉄の梯子を登って行くと“笙の窟”に着く。
ここはこれまでの二つの岩窟とは格段にスケールの違う絶壁の下にある岩窟で、
側に役小角が初めて修行したところと説明された案内板があった。

さらに巻き道を進んで行くと“鷲の窟”に着く。ここの岩壁もなかなかのもので、上の方は前方に大きくオーバーハングしており、それが鷲のように見えると言うことのようだ。

鷲の窟からは右に折れて沢を急登する。所々にロープが張られていてかなり険しい道だった。登り着いたところは文殊岳と小普賢岳との鞍部で日本岳のコルという所だった。時刻は6時10分。ここで少し休憩する。

折から朝日が差してきてまわりの新緑が輝き始めた。

 
 鞍部から左に折れて小普賢岳に取り付く。朝日に輝く新緑の中を急登する。

 日本岳のコルから鉄製の梯子を登り切ると急登はひとまず終わり、樹林の中の岩尾根の道となる。
このあたりからピンク色の石楠花が見られるようになってきた。険しい岩尾根では写真を撮るのは難しい。
そのうちいいところがあるだろうと期待しながら登って行くと岩が露出した見晴らしの良いところに出た。石の鼻というところで6時25分に着く。
振り返ると文殊岳の彼方は一面雲海が広がっており、大台ヶ原は雲に隠れて見ることが出来なかった。

 
 行く手には目の前の小普賢岳の背後に目指す大普賢岳が新緑の衣を身にまとって高々と聳えている。
天気は思ったほどよくなく、晴れてはいるものの流れ行く雲が時折山頂部を覆い隠す。

石の鼻からも急登が続く。登る途中で咲いていたイワカガミ。

登り着いたところが小普賢岳の肩ともいえるところで時刻は6時40分だった。

肩からは正面に大普賢岳が高く大きく望まれた。
どこをどういう具合に登って行くのだろう。

小普賢岳の頂上は割愛して、これまでの急登を打ち消すかのように鞍部まで急降下する。
鞍部からは再び急登が始まる。登山道脇に咲く石楠花に元気付けられながら登り続ける。

新緑が綺麗な巻き道になるころ、あいにくまわりは霧に覆われ始めたが、奥駆道と合流して山頂に向かう時にはまた日が差してきた。

山頂直下を急登して大普賢岳の頂上に着いたのは7時10分。しかし流れる雲に遮られて残念ながらまわりの眺めは得られなかった。展望は次の機会に期すことにして7時30分に大普賢岳の頂上を辞す。

 
 これから七曜岳までは奥駆道を辿ることになる。
 はじめは急な坂道を下っていくが、暫くして平坦な尾根道になる。

新緑の木々の下に石楠花が咲く尾根道はまるで自然の庭園のようで、
こんな素晴らしいところを歩くことが出来ただけでも大峰に来た甲斐があったというものだ。

 
 欲を言えば、もう少し日差しがあるともっと景色が映えてくるのだが・・・。

道は少し下った後、弥勒岳に向かって登り始めるが、山頂は通らずにその北斜面を巻いて行く。
このあたりにも石楠花が沢山咲いていた。

やがて尾根道は痩せてきて、“薩摩転げ”と言う難所を通過する。そこを過ぎると苔むした大木が茂り、何か建物があったような小広い平坦地に出た。そこが“稚児泊り”で昔を偲んで小休止した。

稚児泊りからは緩い登りとなるが、やがて平坦な道となって左手が開けた所を通る。その後樹林の中の道を行き、8時45分に国見岳に着く。名前とは裏腹で、樹林の中の目立たない山頂からは何の展望も得られなかった。

国見岳の手前から振り返ると、大普賢岳から続く険しい峰々が雲を纏って連なっていた。

 
 国見岳からの下りが終わり、平坦な道になってしばらく行くと右手に大きな窪地があった。
道の側にはお札も置かれている。少し薄気味悪い所だがこれがたぶん七ツ池なのだろう。
七ツ池から急斜面を鎖で登って鉄製の桟橋を歩いて行くと標高1584mの七曜岳の頂上に着いた。時刻は9時5分。
岩が露出した七曜岳の山頂は狭く、定員10名といったところだが今日は独り占めだった。

初めは雲に包まれていた西の空は、時が達つうちに徐々に青空が覗き始めて神童子谷が見え出し、
やがてバリゴヤの頭から稲村ヶ岳や山上ヶ岳へかけての山々が姿を見せて来た。
写真はバリゴヤの頭(左)と稲村ヶ岳。

 
 北の大普賢岳の方も雲が切れ始めて何とか小普賢岳まで見えるようになってきた。
しかし南の弥山から八経ヶ岳方面の山々の稜線は厚い雲に覆われたままだった。
雲の動きから見て、これ以上の天気の回復は期待できなかったので、
9時55分に七曜岳の山頂を辞すこととした。

頂上直下の急斜面を下った後、奥駆道を辿ってしばらく行くと無双洞経由で和佐又へ下る道が分岐する。

木の根を掴むような下りという言葉があるのかどうか知らないが、梯子などもある急坂を下ってゆくと、暫くして広い平坦な尾根となる。

20分ほどで広い尾根と別れて水太谷に向かって下って行く。やがて痩せ尾根となり沢の音が聞こえてくると程なく無双洞と呼ばれる沢の辺に着いた。10時40分。沢に降りて顔を洗ってから和佐又のコルへ向かう。

途中沢を2度渡り、鉄筋を打ち付けた階段や鎖を使いながら、息絶え絶えになるほど苦しい岩登りのような直登を続けたあとは起伏の少ない巻き道を坦々と歩く。11時40分に鷲の窟への分岐を過ぎ、12時ちょうどに和佐又のコルへ帰り着いた。


和佐又のコルの涼しい木陰のベンチに腰掛けて休んでから今朝歩いてきた道を戻る。
大台ヶ原方面との分岐まで来て振り返ると雲間に大普賢岳から続く峰々が重なるようしてに並んで見えた。
 ヒュッテに帰り着いたのは12時35分。12時40分に和佐又を出発し往路を戻って家に帰り着いたのは午後4時だった。
天気は今一つだったものの、満開の石楠花に満足した山行だった。

コースタイム
和佐又ヒュッテ(5:00)−日本岳のコル(6:10)−石の鼻(6:25)−大普賢岳(7:10-7:30)
−七曜岳(9:05-9:55)−無双洞(10:40)−和佐又のコル(12:00-12:15)−和佐又ヒュッテ(12:35)

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