木曽駒ヶ岳・空木岳
1974年(昭和49年)9月21日〜23日

メ モ
中央アルプスには昭和45年と47年に登っているが、いずれも木曽駒ヶ岳の周辺のみで未だ南部には行っていなかった。そこで秋の連休を利用して木曽駒ヶ岳から空木岳までの主稜線の縦走を計画した。
当時信州方面へ夜行で行く場合は名古屋まで新幹線で行き、名古屋から急行“きそ号”を利用するのが常だった。時間的にもこの方法が最も早く現地に着くことが出来た。今回も同じ経路で塩尻まで行き、乗り換えを重ねて伊那に着く。伊那からタクシーで登山口の桂小場に向かった。
1日目の桂小場からの道は昔ながらの登山道で歩きやすかった。この道は大正時代に遭難した小学生たちが歩いた道でもある。胸突八丁を登り、将棊頭山を過ぎると馬ノ背から木曽駒ヶ岳へと続く稜線が大きく迫ってくる。このあたりが遭難現場で記念碑もあった。曇りがちだった空は本曇りになり、木曽駒山頂に着いた時は周りは霧に閉ざされてしまった。この日は前にも2度利用している宝剣山荘に泊まる。
2日目の天気もあまり良くなく、宝剣岳を越えて東川岳まで行く間に雪や雨などが降ってめまぐるしく天気が変化した。東川岳に至ってようやく青空が覗き始めて天候も安定してきた。東川岳で大きく近づいた空木岳を眺めたあと木曽殿越に下り、そこに立つ山小屋に泊まる。連休ということもあり小屋は超満員だった。
最終日は快晴の好天気となる。1時間ほどもかけて登り着いた空木岳からは南アルプスを始めとする大展望が得られた。しばらく眺めを楽しんだ後、駒ヶ根に向かって池山尾根を下って行った。


行 程

桂小場

木曽駒ヶ岳

宝剣山荘(21日泊)

宝剣岳

桧尾岳

熊沢岳

木曽殿越(22日泊)

空木岳

菅ノ台

距離     : 29.3km
最大標高差: 2,119m
累積標高  : 2,623m
  




天 候

21日:曇り
22日:曇り後雪後曇り
    後晴れ 
23日:快晴
 
原典:気象庁「天気図」、加工:国立情報学研究所「デジタル台風」 

山行記録

伊那駅からタクシーで桂小場登山口まで。
ここから出発する。

登山口からは比較的緩やかな歩きやすい登りが続く。
五合目の大樽小屋で一休み。

大樽小屋を過ぎると胸突八丁と呼ばれる急登が続く。
胸突ノ頭で急登も終わり、少し行くと将棊頭山が見えてくる。
ただ、この時は夏道を行き山頂には寄っていないようです。

背後に宝剣岳、中岳、木曽駒ヶ岳が見えます。
馬ノ背を経た木曽駒ヶ岳への最後の登りです。
霧の中の木曽駒山頂に着いたあとは宝剣山荘まで行き、1日目はそこで泊りました。

2日目。
不安定な天気の下、宝剣岳を越えて空木岳を目指す。

桧尾岳から熊沢岳を見る。

同じところからの空木岳と南駒ヶ岳。

桧尾岳から木曽駒ヶ岳方面を振り返る。

東川岳からの空木岳。
目まぐるしく変わった天候も東川岳に着くころにはようやく落ち着いてきた。

振り返れば北の宝剣岳方面も雲が切れて来ている。

木曽駒、中岳、宝剣岳、伊那前岳などが姿を見せてきました。

遠くには南アルプスの山々も・・・。

天候が回復して満足げな様子。
このあと木曽殿越に下ってそこに建つ山小屋に泊まった。
連休と言うことで超満員でした。

3日目は快晴の好天気。
小屋から1時間以上かけて空木岳へ登る。
山頂で記念写真。

振り返れば昨日歩いてきた稜線が一望です。

槍・穂高も良く見えます。

南には重量感のある南駒ヶ岳。

空木岳から南アルプス北部(白峰三山と塩見岳)。
塩見岳の左肩に富士山。

南アルプス南部(悪沢、荒川、赤石、聖)。
この時点では南アルプスは全く未知の領域でした。

まわりの眺めを堪能して下山します。
空木平から空木岳を振り返る。

空木平からの南駒ヶ岳。

池山尾根の下りで南アルプスを眺める。
次いよいよあの山々です。


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