立山・剣岳 1971年(昭和46年)9月13日〜14日 |
1日目。 富山から富山地鉄、ケーブルカー、バスを乗り継いで午前8時15分に室堂に着く。 この時点では雲の多い空模様だった。 |
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初めての室堂なので、みくりヶ池などを見て回る。 |
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雲が切れて剣岳が少し見えた。 |
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室堂で記念撮影をしてから、午前9時5分に一ノ越に向かう。 |
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一ノ越には午前10時に着く。 室堂と大日岳を振り返る。 |
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一ノ越からの槍ヶ岳。手前左は野口五郎岳。 |
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午前10時50分に雄山着。 青空が広がってきた。 |
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雄山から北アルプス南部を見る。 遠くに槍・穂高、笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳など全てが未知の山だった。 |
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雄山からの薬師岳。 |
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雄山からの槍・穂高連峰。 |
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雄山から晴れ行く剣岳を見る。 |
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真砂岳・別山と剣岳。 この時は別山を越えずに巻き道を行ったと思われます。 |
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別山乗越からの剣岳。 剣御前小屋には午後1時半に到着。 |
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夕方、剣御前小屋付近から立山方面を眺める。 中央遠くに槍ヶ岳、右に黒部五郎、薬師岳が見える。 |
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剣御前小屋からの夕景。 雲海上の後立山連峰。左から白馬岳、白馬鑓ヶ岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳。 |
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鹿島槍ヶ岳。 ひと月あまり前の北アルプス初山行で登った山。 |
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五竜岳。 鹿島槍ヶ岳から縦走したが、山頂に着いた時は雲の中であまり印象に残っていない。 |
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白馬岳と白馬鑓ヶ岳遠望。 この山もまだ未知の山だった。 |
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夕日に映える剣岳。右遠くに白馬岳が見える。 |
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剣岳をズームアップ。 明日登る険しい山を見てどんな気持ちだったのか記憶にないということは、 やはり無知だったのだろう。 |
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2日目。 後立山連峰の夜明け(剣御前小屋から)。 午前6時10分に小屋を出発。 私のほかに一人の登山者が下山するまで前後して歩いていた記憶がある。 ひょっとすると山頂の写真を撮ってもらったのかもしれない。 |
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剣岳山頂で記念撮影。 古い地図に記入された時刻を見ると、一服剣7時10分、前剣7時50分、避難小屋8時30分、 そして剣岳山頂午前8時50分となっている。小屋からの所要時間は2時間40分。 辿り着いた山頂にあったものは剣の穂先や錫杖の頭ではなく、窪みに集められたゴミの塊だった。 背後には白馬岳から鹿島槍ヶ岳にかけての後立山連峰。 |
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以下は山頂からの展望です。 まずは南に黒部五郎岳と薬師岳。手前に五色ヶ原。 |
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立山(手前)と槍ヶ岳・穂高連峰。左遠くは中央アルプス。 |
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富士山と南アルプス。手前は針ノ木岳。 これらすべてが未知の山。 |
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東に八ヶ岳(手前は蓮華岳)。 八ヶ岳は前年の9月に天狗岳から編笠山まで縦走し小淵沢に下っている。 |
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鹿島槍ヶ岳。 ひと月半前に右端の布引山から、ご来光を受けるこの剣岳を眺めたのだった。 |
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五竜岳 |
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西には加賀の白山。 まわりの大観を満喫した後、午前9時30分に下山を開始。 記録では剣御前小屋に午前12持40分に戻っっており、下りの方が時間がかかっている。 小屋を午後1時15分に出発。雷鳥平経由で室堂着は午後3時で、無事2日間の山行を終えた。 帰りは往路の逆で、富山まで戻ってから夜行で大阪に向かいました。 |