至仏山
1998年(平成10年)5月2日

メ モ
昨日、今回の山行の主目的である武尊山に登ったが、生憎曇り空で稜線付近は霧のために思うような展望は得られず残念な結果に終わった。そして今日、宿で朝を迎えると、予報では雨のはずが青空が見えて朝日が差している。一体どうなっているのかと思いながら朝風呂に入ったがそのうち曇りがちの空となってやはり予報どおりかと思った。
ところが朝食をとっている間に空はすっかり晴れ渡り素晴らしい天気になってしまった。そうなるとこのまま帰る訳にはいかないと思って急遽近くの至仏山に登ることにした。宿の人たちに見送られて時に鳩待峠に向かって出発した。

車で鎌田を過ぎ戸倉経由で鳩待峠に着いたのは10時頃だった。今日中に大阪に帰るには午後3時頃には戻ってくる必要があるので急いで支度をして出発した。

行 程

鳩待峠
↓↑
オヤマ沢田代
↓↑
至仏山

距離     : 9.3km
最大標高差: 635m
累積標高  : 635m
  




天 候

晴れ後曇り
 原典:気象庁「天気図」、加工:国立情報学研究所「デジタル台風」 

山行記録

 
 午前1030分に鳩待峠を出発して登山道に入る。すぐに残雪が現われて夏道が隠れてしまう。
樹林の中のなだらかな斜面の上の踏み跡を辿って歩く。

空は晴れているが風が強く雲がどんどん流れて行く。


 
少し急な登りになり、雪の斜面を左にトラバースしてP1867を巻いて再び残雪のなだらかな尾根道を行くと、
大きな岩の点在するお花畑に出る。もちろん今は一面の雪原だったが・・・。ここまで峠から約1時間の行程だった。
前方に至仏山が見える。


また、尾瀬ヶ原の彼方には端正な姿をした燵ヶ岳が聳えている。
その左には平らな台地のような会津駒ヶ岳が見える。
尾瀬ヶ原には残雪は全く見られず、灰褐色の草原が燵ヶ岳の麓まで続いていた。



お花畑から先は急登になる。その途中から見えた至仏山と小至仏山。


 
 お花畑からの短い急な登りのあとしばらく行くと広い雪原に出る。時刻は11時55分。
ここはオヤマ沢田代というところで、雪が溶けると湿原となるところだ。
行く手の雪を戴いた小至仏山が立派に見える。



東側には右端の皇海山から左の奥白根山へと日光の山々が連なっている。


 
 オヤマ沢田代からはしばらくなだらかな道を行き、やがて小至仏山の登りになる。
登る途中で昨日登った武尊山を振り返る。
左から前武尊、剣ヶ峰、家ノ串、中ノ岳そして沖武尊と辿って行った峰々が見える。


右手には相変わらず尾瀬ヶ原の向こうに会津駒と燧ヶ岳が見えている。


道は稜線の東側に回り、小至仏山には登らずその雪の斜面を横切っている。
かなり長大なトラバースだ。しかし傾斜はそれはどでもな昨日のく武尊山ほどの緊張感はなかった。
雪の斜面のトラバースを終えると至仏山との鞍部に出る。至仏山まであと一登り。



 
赤い蛇紋岩が露出した道を登って行き、1250分に頂上に着いた。
空には雲が多くなってきたので、休む前にまわりの山を眺めておく。


 
東には燵ヶ岳が左右に裾野を広げて、眼下の尾瀬ヶ原を挟んでこの至仏山と向き合っている。
その左奥には会津駒ヶ岳。


 
 至仏山から会津駒ヶ岳を望む。


 
尾瀬ヶ原と燧ヶ岳。


西から北にかけては、雲に覆われた谷川岳の右手に巻機山、利根川源流の山々、そして平ヶ岳が白く波打って続いている。
その山並みの向こうに魚沼三山の中ノ岳と駒ヶ岳が顔を覗かせている。

日光方面の山は既に雲に隠れてしまっており、武尊山にも雲がかかってきた。


北の平ヶ岳を拡大。
誰もいなくなった山頂でかつて登った山々を眺めながら暫し休憩した。
時間も迫ってきたので午後140分に山頂を辞す。充分展望を楽しんだつもりでも下山するときは後ろ髪を引かれる思いがする。
雪道の下りは早く、鳩待峠にはほぼ予定時どおりの分に帰り着いた。




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