仙ノ倉山・谷川岳
1998年(平成10年)6月20日〜21日
 
メ モ
上越国境の清水峠から三国峠の間に延々と連なる谷川連峰は、その東側に険峻な岩壁を有する盟主谷川岳によってその名が広く知られています。しかしこのような荒々しい岩壁は谷川連峰のうちのほんの一部に過ぎず、その主稜線の殆どは草原や笹に覆われた女性的なものです。特に連峰の西端に位置する平標山から仙ノ倉山にかけては準平原とでも言えるなだらかな稜線で、そこは月から月にかけて高山植物が咲き乱れる瑞々しい別天地となります。
以前からこの山に行くのは月の晴天の休日にという欲張った考えを持っていたためなかなか実行に移す機会がありませんでしたが、漸くこの週末がその条件に叶いそうなので念願を達成するべく出かけることにしました。
6月20日の早朝時に家を出て電車を乗り継いで京都駅まで行き、27分発の『のぞみ』に乗って東京で48分発の『あさひ』に乗り換える。前年苗場山に行ったときと同じタイムスケジュールです。本当はもう少しゆっくり行くはずだったが、前日山の家を予約をしたときに午後3時までに入るように言われたためこの時間帯とせざるを得なくなった。『あさひ』が走り抜ける関東平野には青空が広がっており、車窓からは遠くに日光や上信越方面の山々が見える。高崎駅に近づくと右手に赤城山、左手に浅間山が垣間見えたがすぐにトンネルに入ってしまった。
上毛高原駅を過ぎ長いトンネルを抜けると空模様は一変して雲が低く垂れ込んでいる。越後湯沢には10分に到着。1010分発の浅貝行きのバスに乗る。乗客は何人かいるが登山客は私一人だった。

定刻に出発したバスは国道17号を走る。この道は巻機山や苗場山に行ったときに通っており、その時のことを思い出して懐かしさがこみ上げてくる。車窓にぽつりぽつりと雨粒があたっている。たいしたことはないようだが少し天気が気になる。八木沢で苗場方面に行く道を分け二居トンネルを抜けて1050分に平標登山口に着いた。降りたのは私一人だった。垂れ込めていた雲が急に動き始めて青空も覗いたがそう簡単に晴れ上がる気配はない。バス停から少し戻ると登山口ヘ通じる林道の入り口がある。『上信越自然歩道』と書かれた大きな看板が立てられてある。その横にある建物の軒下で支度をして午前1055分に今日の目的地の山の家目指して出発した。

行 程

平標山登山口

平元新道

平標山ノ家(20日泊)

平標山

仙ノ倉山

万太郎山

大障子ノ頭

オジカ沢ノ頭

トマノ耳

天神平


距離     : 20.1km
最大標高差: 1,046m
累積標高  : 2,123m
  
 
天 候

20日:曇り
21日:晴れ後曇り
 

原典:気象庁「天気図」、加工:国立情報学研究所「デジタル台風」  
 
山行記録

登山口ヘ通じる林道の入り口には『上信越自然歩道』と書かれた大きな看板が立てられてあった。
その横にある建物の軒下で支度をして午前1055分に出発する。

 始めのうちは舗装された道を歩いて行く。道の右手は別荘地で、樹林の中にログハウスが見える。
平標山は花の山だがすでにこのあたりから道の両側に色々な花が咲いていた。
15分ほどで河内沢を渡り地道となる。河内沢に沿って50分ほど歩き、午前1145分に登山口に着く。
ここで昼食をとり暫く休む。

午前12時20分に山の家を目指して出発する。取り付きはカラマツ林の中の緩やかな坂道だが、やがて新緑の樹林帯に入り、道もつづら折りの急坂となる。彼方に見える稜線は雲の中で時折小雨もぱらつく。

樹林の中の変化のない道を登り続けて漸くまわりが明るくなり稜線が近づいてきたことが分かる。道の上に小さな赤い花が沢山落ちているので見上げてみるとドウダンツツジが満開だった。

そこから一登りで午後1時35分に稜線上の山の家に着いた。泊まり客は他にパーティ20人ほどだった。
午後3時半ごろ退屈しのぎに平標山への道を登るが展望も得られそうにないので途中で引き返した。
 午後6時前に夕食をいただいたあとはする事もなく、顔を洗って寝る支度をした。
この山小屋は水が豊富で、トイレも水洗式になっておりなかなか清潔だった。
風は相変わらず強く、霧が盛んに流れて行く。上空は霧を透してうっすらと青空が見えるが果たして明日はどうなるだろうか。
新潟、群馬は晴れの予報だが寒気が入ってきているので小屋の主人は何とも言えないと言っていた。
消灯は午後8時。晴れることを願って横になった。

夜半、時々目を覚まして窓を見たが白っぽく見えるだけだったので、
午前3時ごろに起きて外へ出てみると空は晴れて星が出ていた。空気中の水分が多いためか星は大きく潤んでいるようだった。

好天気は長続きしないように思われたので午前3時半ごろから支度を始めて、簡単な朝食を取ってから午前4時に出発した。
他の2パーティも前後して出かけたようだった。

東の空は朝焼けで、赤い空を背景にして武尊山の黒い稜線が浮かび上がっていた。
エビス大黒ノ頭や仙ノ倉山も黎明の空に中に黒い影となって見えていた。

平標山への道には木製の階段が延々と設けられている。山の家あたりは既に森林限界なのでまわりの展望は良い。
振り返ると榛名山や赤城山など上州の山々がよく見える。その右手には浅間山も眺められた。
途中で仙ノ倉山と平標山との鞍部からの日の出を迎えた。

なだらかな道を登り午前445分に頂上に着いた。
標高1984mの平標山頂は緩やかな起伏が続く高原の中の高みのようなところだった。

西には少し傾斜した台地のような苗場山が朝日を浴びていた。

東にはこれから辿って行く仙ノ倉山や万太郎山、谷川岳などの谷川連峰の峰々が遥かに連なっており、
その彼方には尾瀬の至仏山や燵ヶ岳、上越の平ヶ岳から巻機山にかけての山々が青い影となって浮かんでいた。

平標山山頂からの巻機山方面の眺め。

先が長いので午前5時に仙ノ倉山に向かって出発する。
 山頂から緩やかな坂道を下り鞍部を過ぎて緩やかに登り返してゆく。
平標山から仙ノ倉山にかけての広い稜線には草原が広がっており、可憐な花が赤や白の彩りを添えていた。
今年は全国的に雪が少なく、ここでも雪全く見られなかったが、そのせいか思ったよりも花は少なかった。

一番手前のピークの斜面をトラバースし、次の小さなピークを越えて鞍部から少し登り返すとそこが仙ノ倉山の頂上だった。
午前40分着。仙ノ倉山の標高は2026mで谷川連峰中唯一の2000m峰だ。山頂は割合広くそこから360度の展望が得られた。
行く手の東には谷川岳(右端)にかけての稜線が大きな起伏を見せて続いており、
その向こうには左から巻機山、越後三山、平ヶ岳、燧ヶ岳、至仏山などが波打つように連なっている。


振り返るとたおやかな平標山の後ろに苗場山が特徴ある山容で横たわっている。

苗場山の稜線が尽きるあたりの彼方には雪を残した白馬連峰が・・・。

南を見ると浅間山の左手の遥か彼方に八ヶ岳が望まれた。
手前には榛名山や赤城山も。

エビス大黒ノ頭から万太郎山、谷川岳(左端)にかけてのこれから辿って行く稜線。
谷川岳の彼方には尾瀬の燧ヶ岳と至仏山。中央遠くに武尊山と日光方面の山々が見える。

武尊山とその背後に日光の山々、右端に皇海山。
上空の晴れ間もいつしか曇り空に変わってきたが急変する様子も見られないので、
午前6時ちょうどにいよいよ谷川連峰の核心部に向かって足を踏み出す。


ここからは今までとは違い狭い尾根の急な道となる。まず次のピークのエビス大黒ノ頭を目指して急降下する。
草付の斜面を小さいジグザグを切りながら下って行く。エビス大黒ノ頭がどんどんせり上がってくる。


ドラム缶を寝かせたような避難小屋を過ぎて下り着いた鞍部から今度は痩せ尾根を登り返す。
しかし見た目ほどにきつくはなく、其処ここに咲く花々に励まされて午前645分に山頂に着く。標高1888m
振り返り見た仙ノ倉山は大きく立派だった。

エビス大黒ノ頭から万太郎山へと続く稜線を見る。
休む間もなく毛渡乗越目指して下り始める。

下りきってから小さなピークを越え、乗越の手前で谷川岳方面から来たパーティとすれ違う。
乗越には午前25分に到着。乗越からは万太郎山への縦走中最大の登りとなる。午前35分に出発。


万太郎山の標高は1954mあり、1568mの毛渡乗越とは400mの標高差がある。笹と草原の中の道をゆっくりと登る。
取り付きは急な登りだが、避難小屋を過ぎて東俣ノ頭の斜面をトラバースするようになると道も緩やかになる。

万太郎山への登りの途中でエビス大黒ノ頭と仙ノ倉山を振り返る。
このあたりも花は多く、道端にヨツバシオガマやゴゼンタチバナ、
ミネウスユキソウ、ウラジロヨウラクなどが可憐な花をつけていた。

東俣ノ頭から続く稜線に出ると少しの間痩せ尾根が続くが、これを過ぎるとすぐに万太郎山の頂上に着く。
乗越から約1時間かかり午前837分着。覚悟はしていたがきつい登りだった。
ほとんど同時に谷川岳から縦走して来た人が到着した。
午前530分に肩ノ小屋を出たそうだ。
山の家で作ってもらった弁当を食べて休憩する。

ここは縦走路のちょうど中間地点で、越えてきた仙ノ倉山の全容がよく見える。
エビス大黒ノ頭もなかなか立派だ。


行く手には大障子ノ頭から小障子ノ頭、オジカ沢ノ頭へと道が続いており、
その後ろには目指す谷川岳がどっしりと控えている。まだまだ先は長い。

万太郎山から巻機山を望む。その後ろには越後三山。

休んでいる間に山の家を前後して出発したつのパーティがやってきたので騒がしくなる前に山頂を辞す。午前9時分。
しばらくは急な道を下り、その後緩やかな起伏の道を淡々と歩く。
やがてちょっとした岩場が続く急峻な登りとなり午前940分に大障子ノ頭に着く。
そこから道は下りとなり、小さなピークを越えると大障子避難小屋に着く。午前955分。


さらに道は小障子ノ頭へと続く。小障子ノ頭の手前で少し休憩し万太郎山や茂倉新道を眺める。

小障子ノ頭を過ぎてからは平坦な道になるが、すぐにオジカ沢ノ頭への急な登りが始まる。
笹原の中の道で、万太郎山ほどではなかったが、疲れた体にとって40分の急登はきつかった。
避難小屋を過ぎて午前11時に山頂こ着く。標高は1878mだ。


オジカ沢ノ頭から振り返ると万太郎山が一際大きく見えた。

ここまで来れば谷川岳まであと一息だ。肩の小屋もはっきりと見える。
谷川岳から茂倉岳に続く山稜の西面は一ノ倉沢や幽ノ沢などの東面の荒々しさが嘘のような穏やかな山容だ。
息を整えて午前11時15分にオジカ沢ノ頭を出発する。

下りり始めは急な痩せ尾根で、気を抜かないよう用心しながら行く。
時間をかけて下りきると暫くなだらかな道となり、いよいよトマノ耳への最後の登りが始まる。
サクラソウなどの小さな花がひっそ
りと咲いている岩場の道を登り、中ゴー尾根を右に分け、石ころだらけの道を登り詰めて肩ノ小屋に出る。
急に人影が多くなり騒がしくなったがかまわずに一気に頂上を目指す。喘ぎ喘ぎ登り、午前12時20分、遂にトマノ耳に着く。

辿り着いたトマノ耳から越えてきた谷川連峰を振り返る。はるばるとよくやって来たものだと我ながら感心しました。

頂上は天神平からやってきた人達で一杯だった。頂上の一角に腰を下ろし、まずパンを食べて腹掩えをする。
一息ついてから最後の展望を楽しむ。
写真はオキノ耳と一ノ倉岳、茂倉岳。

オキノ耳の彼方に巻機山や越後三山。
手前には朝日岳。いつかは白毛門から朝日岳を越えて谷川岳まで馬蹄形縦走をしてみたいものです。

平ヶ岳、会津駒ヶ岳、燵ヶ岳、至仏山

武尊山とその背後に日光の山々。
午前1240分、天神平に向かって下り始める。ごろごろした岩の道で非常に歩きにくく、疲れた足には少しこたえた。
熊穴沢避難小屋からは尾根の東側の平坦な道になる。田尻尾根を巻いて天神平には午後210分に到着。
ロープウェイで土合口まで下り、洗面所で顔を洗いさっぱりした気分になって午後2時40分発のバスに乗る。
水上経由で上毛高原着は午後3時33分。53分発の『たにがわ』に乗り東京から午後28分発の『ひかり』で京都に向かった。



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