甲武信ヶ岳・金峰山
1975年(昭和50年)11月1日〜3日

メ モ
11月の連休を利用して奥秩父に出掛けた。小海線の信濃川上からバスで梓山まで行き、そこから甲武信ヶ岳を目指す。戦場ヶ原を抜け、毛木平から八丁坂を登って十文字峠に至る。十文字峠から稜線沿いに武信白岩山や三宝山を越えて甲武信ヶ岳に着いた時は夕方で、陽は雲海の彼方に沈みかけていた。その日は甲武信小屋に泊まる。
次の日は奥秩父の主脈を縦走したがその間の記憶は忘却の彼方にある。国師ヶ岳や奥秩父最高峰の北奥千丈岳に登った後、金峰山に辿り着いたのはやはり夕方近かった。その日は頂上から少し下った金峰山小屋に泊まったが、その時の混み方は空前絶後のものだった。小屋は2階建てだったがあまり広くなく、まず前の人の背中を見て同じ方向につめて座った後そのまま半ば折り重なるように仰向けに倒れるというもので、全く一睡も出来るものではなかった。トイレにでも行こうものなら、帰ってきた時は寝る場所どころか足を置く場所もないという状態だった。
一夜明けて小屋から外へ出た時は開放感に満たされた感じだった。しかも天気は最高で、頂上からは快晴の秋空の下に富士山や南アルプス、八ヶ岳の大展望を得ることが出来た。山小屋での苦痛の一夜のことも忘れてすっかり気分を良くし、秋色の山の展望を楽しみながら下山の途に着いたのだった。


行 程

梓山

十文字峠

甲武信ヶ岳

甲武信小屋(1日泊)

甲武信ヶ岳

北奥千丈岳

金峰山

金峰山小屋(2日泊)

金峰山

みずがき山荘

距離     : 32.8km
最大標高差: 1,290m
累積標高  : 2,720m
 




 
天 候

1日:晴れ
2日:晴れ
3日:快晴
原典:気象庁「天気図」、加工:国立情報学研究所「デジタル台風」  

山行記録

1日目。
信濃川上からバスに乗って梓山に着いたのは午前9時過ぎだった。
梓山から登り始めて十文字峠に着いたのは昼頃。そこから尾根道を辿って甲武信ヶ岳に向かう。
途中(大山あたり)で八ヶ岳を望む。

途中の三宝山から国師岳(中央)と金峰山方面(右)を見る。
遠くに南アルプスの白峰三山も見えた。

三宝山からの甲武信ヶ岳と富士山。

甲武信ヶ岳には午後4時40分に到着。まさに日が沈もうとしていた。
山頂で富士山と記念写真。

甲武信ヶ岳からは、雲海の彼方に後立山連峰も見えました。

甲武信ヶ岳からの夕焼けの富士山。明日の好天気が期待できます。
このあと山頂下の甲武信小屋に泊まる。

2日目。晴れてはいるが風が強かった。
この日は奥秩父主稜線を進んで行くが、
目指す国師岳から金峰山にかけての稜線は雲に覆われていた。

進んで
中央アルプス方面は晴れている。

前日越えてきた三宝山を振り返る。
左端に八ヶ岳の裾野が少し。その右は御座山。

これも三宝山を振り返ったもの。
右手の両神山は木々に遮られていて残念ながら見えていない。
午前7時40分に甲武信ヶ岳を出発。

長い主稜線を歩いて国師岳には午前12時55分に到着。
国師岳の少し南の北奥千丈岳は標高が2600mを超える奥秩父の最高峰。
ということで記念撮影。天気はすっかり回復したようです。

北奥千丈岳から金峰山を望む。
途中の朝日岳や鉄山を越えて行く必要がありまだまだ遠い。

朝日岳(午後3時20分)を越えて午後4時20分に金峰山に到着。
前日の甲武信ヶ岳と同じく日没が近い時間だった。
この日は山頂下の金峰山小屋に泊まったが、その混みようは空前絶後だった。

3日目。混み合う小屋で眠れない長い夜を過ごしたあと、
明るくなってから小屋の前で簡単な朝食を済ませて金峰山山頂に向かった。
辿り着いた山頂からは予想もしていなかった南アルプスの大観が広がっていた。感動のひと時でした。

南アルプス南部の上河内岳、聖岳、そして夏に登った赤石岳と悪沢岳。
右端に塩見岳。

気高くも美しい白峰三山。

この夏に登った仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳。

空木岳から木曽駒ヶ岳までの中央アルプス。

間近かの八ヶ岳はまだ雪が少ない。

そして日本一の富士山。寝不足も吹っ飛んでしまった素晴らしい眺めでした。
この山行で残っている記憶の大半はこのひと時が占めている。
このあと一旦小屋に戻ってから午前7時50分に出発。
みずがき山荘まで下り、バスを乗り継いで韮崎に出て、甲府から静岡経由で京都に向かった。


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