鳳凰山
1976年(昭和51年)12月31日〜
1977年(昭和52年)1月2日

メ モ
白峰三山の大展望を求めて鳳凰三山へ行く。2年前の同じ時期にも三山を縦走したが、1日目の燕頭山への登りからは八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳の眺めが得られたものの、肝心の翌元旦は風が強く、霧に包また稜線を夜叉神峠までひたすら歩くのみだった。
昭和51年12月30日、東京経由で新宿からの夜行列車に乗り、未明に穴山で降りる。迎えに来ていた小型バスで御座石鉱泉まで行く。予約はしていなかったが何とか乗ることが出来た。1日目は晴れてはいたが前回ほどの眺めは得られなかった。比較的空いていた小屋で大晦日を寒さに震えながら過ごした明くる元旦は、残念ながらこの前と同じような天気だった。このままでは帰れないと思って、まだ時間も早かったが昼頃に薬師岳小屋に入った。
翌日は期待どおりの快晴で、小屋の近くの砂払岳からの大展望を堪能した。帰途南御室小屋を過ぎたあたりで樹林の焼け跡があり、そこからも白峰三山の眺めを得ることが出来た。
その後夜叉神峠経由で夜叉神荘まで下ったところ、幸いなことにそこから小型バスが運行されていたので、バスに乗って韮崎まで行き塩尻経由で京都に向かった。

行 程

御座石鉱泉

燕頭山

鳳凰小屋(31日泊)

鳳凰三山

薬師岳小屋(1日泊)

砂払岳

南御室小屋

夜叉神峠

距離     : 17.5km
最大標高差: 1,774m
累積標高  : 2,054
m  




天 候

12月31日:晴れ
1月1日:曇り
1月2日:快晴
 
 原典:気象庁「天気図」、加工:国立情報学研究所「デジタル台風」  

山行記録

1974年12月31日〜1975年1月1日

   
1日目。
大晦日の前夜、新幹線で東京経由新宿まで行き、夜行列車に乗って穴山で下車。
予約していたマイクロバスで御座石鉱泉まで行った。
好天気の下、まずは燕頭山目指して急登を開始。
写真は燕頭山への道から八ヶ岳を眺めたもの。

八ヶ岳核心部を遠望で。
西岳、編笠山、ギボシ、権現岳、三ツ頭、赤岳などが見えます。

標高を上げると甲斐駒ヶ岳が見えてきました。

さらに高度を上げて標高1900mほどのところからの甲斐駒ヶ岳。
ピラミダルな山容はまさに金字塔そのものです。

燕頭山を越えて行くと鳳凰三山の稜線が見えてきた。
右に最高峰の観音岳、左に薬師岳。
このあと無事鳳凰小屋に着いて大晦日の夜を過ごした。

2日目は残念ながら曇り空。そして風が強かった。
まず地蔵岳に向かう。オベリスクは下から仰ぎ見るのみ。

次は賽ノ河原付近から観音岳に向かう。

観音岳を越えたあたりから仙丈ヶ岳を眺める。
このあとは天候の回復も見込めないし、眺めもないので仕方なく薬師岳を越えて夜叉神峠に向かった。
夜叉神峠から夜叉神荘に下ったが、そこには人の気配はなくバスも無いようなので、
結局さらに1時間以上も歩いて芦安のバス停まで行きました。
元旦の芦安からバスに乗って甲府まで行き、午後6時発の急行に乗って静岡経由で京都に向かった。

1976年12月31日〜1977年1月2日

   
2年前の残念な結果をうけて、2年後の同じ日に再び鳳凰山に向かいました。
アプローチは前回と同じルートと時間でした。
1日目は晴れてはいるが雲の多い天気。八ヶ岳の稜線付近も雲に隠れています。

隣の奥秩父方面は八ヶ岳より標高が少し低く、風下になるからなのか少しマシです。
燕頭山を越えて、2年前と同じく1日目は鳳凰小屋で泊まった。

そして2日目はまたもや前回と同じような天候。しかし今回はやすやすと引き下がるわけにはいかない。
予備の宿泊の用意もしてきているので薬師ヶ岳小屋に泊って様子を見ることにした。

明くれば3日目の1月2日。
天気は良く、ようやく厳冬の白峰三山を間近かで眺めることが出来ました。

砂払岳からの北岳

砂払岳からの農鳥岳と間ノ岳

前回は山頂部が雲に覆われていた仙丈ヶ岳。

仙丈ヶ岳山頂部を望遠で。

雲が切れて行く甲斐駒ヶ岳と思われる頂。

砂払岳から農鳥岳と荒川三山を望む。
薬師岳まで登り返せばさらに素晴らしい眺めが得られたのかもしれないが、
白峰三山のモルゲンロートを見ることが出来ただけで十分満ち足りたのか、
このあとあっさりと下山を始めている。

途中の山火事後からは展望が開けて、
南部の千枚岳、悪沢岳や上河内岳が見えた。

白峰南嶺の笊ヶ岳の双耳峰も。

そして何といっても白峰三山の眺めです。
北岳

間ノ岳
農鳥岳。
これ以上何も言うことなしと思ったのかもしれない。
帰りは夜叉神荘からバスで韮崎に出て塩尻経由で京都に向かった。


ホーム地域別山行一覧年別山行一覧