四阿山
1999年(平成11年)10月11日

メ モ
上信国境の四阿山は歴史の山でもある。それは日本武尊や源頼朝に関わる伝説が残っていることでも分かる。古くから上州と信州双方から信仰の山として崇められていた。
前日は草津白根山に登ったあと新鹿沢温泉に泊まり、9時過ぎに就寝。夜中に時々目を覚ましはしたものの割合よく寝ることが出来た。時になったので起きて支度を始めた。簡単な朝食をして外に出てみると曇り空だが、少しづつ晴れ間が覗いてきている。50分に宿を出発して鳥居峠に向かった。
行く手には目指す四阿山が見える。すでに充分な標高に達しているため道はなだらかで峠に向かうような雰囲気はない。峠には10分に着いた。

行 程

鳥居峠
↓↑
花童子の宮跡
↓↑
第三東屋
↓↑
四阿山

距離     : 13.8km
最大標高差: 984m
累積標高  :1,009m
  




天 候

晴れ
 原典:気象庁「天気図」、加工:国立情報学研究所「デジタル台風」

山行記録

鳥居峠からの四阿山


 
 峠には610分に着く。広い駐車場に車を止めて空を見上げると、雲が切れて青空が広がり朝日を浴びた四阿山が大きく見えた。
この峠は信濃と上野との境で登山口には「ずらとだんべのさかい」と書かれた看板も立ててある。
615分に入り口のロープを越えて林道に足を踏み入れる。


 
 しばらく林道を歩いて行くと左に登山道が分かれている。カラマツ林の中の笹原につけられたまっすぐな登山道を進む。
本当にまっすぐな道で30分ほどの間坦々と歩く。やがて的岩コースとの分岐に着く

左に的岩コースを分けてなおも進むと不意に林道に飛び出す。
朝の冷たい空気を吸いながら林道を進んで710分にその終点に着く。ここからも的岩コースが分かれている。


 
 分岐からは右の花童子コースを行く。
小さな橋を渡り植林帯に入る。少し薄暗いあまり感じの良くない道を行くとやがて明るいミズナラの林に出る。
林を登り詰めて730分に尾根上の開けた鞍部に着く。快晴の秋空の下に浅間山が大きく見えた。



 
 このあとも展望の開けた明るい道が続き、745分に第一の「あずまや」に着く。
そのあとダケカンバの林を急登して755分に花童子の宮跡に着いた。

昔は四阿山は女人禁制の山で女性はここまでしか登れなかったらしい。
あたりには修験者花童子の功を称えた建物に使われた礎石などが散乱していた。

まわりはお花畑のようで、枯れ果てた花々の残骸を見て、それらが咲き誇る季節の華やかさを思い浮かべた。


 
 花童子の宮跡から後立山を望む。
道端には第二の「あずまや」も設けられており、北アルプスも一望出来て展望も申し分のないところだった。


 
 四阿山を目指してさらに尾根道を急登する。
尾根の開けたところから遥かに頂上が見えるがまだまだ遠い。


 
今年の紅葉は今一つといいながらも赤や黄色に色づいた樹々もそこそこあり、
青空に生えてなかなか椅麗だった。



 
 登山道脇には随所に道しるべのように小さな石の祠が置かれてあり、
四阿山は信仰の山でもあることが分かる



 
 P1958を越えたあたりから四阿山を望む。このあと的岩コースとの合流点でもある第三の「あずまや」を過ぎて
樹林帯に入り少し下ると見晴らしのよい尾根道に出る。夏にはお花畑になるところのようで、枯れ果てた花々の残骸が沢山あった。
下り着いた鞍部(写真中央下)から裸の尾根道を急登する。


 
 急登して辿り着いたところはP2144で、そこから少し下り樹林の中の小さなピークを一つ越えていよいよ最後の登りとなる。
見上げれば山頂の二つの祠の間を歩いている何人かの人たちもいる。


 
午前10時に東西に祠がある頂上に着く。
山頂は思ったよりも狭く南北に細長いピークだった。休むのは後にして山岳展望を開始。


四阿山山頂から岩菅山、横手山、そして昨日登った草津白根山(右端)方面を望む。
草津白根山の後方は平ヶ岳などの上越方面。


浅間山とその背後に富士山、八ヶ岳。手前は登って来た尾根。


 
富士山遠望


 
 八ヶ岳連峰と蓼科山。その後ろに南アルプス。


中央アルプス、御嶽山、北アルプスを望む。


槍・穂高から白馬岳までの長大な北アルプス。


槍・穂高連峰遠望


後立山連峰遠望


 
 鹿島槍ヶ岳と五竜岳。鹿島槍の左後方に剣岳。


 
不帰のキレットから白馬三山まで。


後立山と戸隠・頸城山塊。手前は根子岳。


 
 高妻山、焼山、火打山、妙高山など戸隠・頸城山塊。
展望を楽しんでから少し早いが昼食を取る。食べ終わってからも飽きることなく澄んだ秋空の下の大観を眺めた。
しかし予定の時間もあり、立ち去りがたい思いを残して1120分に帰途についた。




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